2006/04/13(木)01:38
億万長者の仕事観 ニートとセミリタイアと仕事観
●ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
「あなたは何のために働いていますか?」
「働くだけの人生はごめんだ。遊ぶだけの人生は退屈だ」
●以前、ある「お金持ち」の生態調査の統計に、『余暇の過ごし方』、ということを調査した統計を読んだことがありました。
●その時に、いくらかは忘れましたが、年収がある線を超えるまでは、そのお金持ちさんの余暇の過ごし方は「趣味やレジャー」なのですが、ある年収を越えると、余暇の過ごし方が「仕事」になるのです。
●自分の「使命や責任」を自覚し、考え方や生き方に、ターニングポイントを迎えるのです。
●この「仕事観」というのが今日のテーマです。
●またこれは、最近私がずっと考えてきたテーマでもあります。
●簡単に言えば、「あなたは何のために働いているのですか?」という質問の本質です。
●以前ロバート・キヨサキの「金持ち父さん 貧乏父さん」がブームになった時、私も『セミリタイア』や『不労所得』という言葉に影響され、純粋にその状態になることを、仕事すごろくの「あがり」として目標設定をして何年か生きたことがありました。
●この考え方、冷静に振り返ってみると、やはり目標設定しながらも何らかの違和感があったことを認識に出すことができます。
(当時は焦りとブームとで巻き込まれて、冷静さを失っていましたからね。)
●それは何か?と言えば、「働くこと」がそんなに嫌な、避けるべきことなのか?という疑問です。
●「働く人生」から、早く抜け出した方が良い、という単純な割り切りに対する違和感です。
●上司や仲間と限られた時間の中で、限られたリソースを使い、限定条件の中で最適解を模索し、自分達の許される最大限の力を出し切って結果を求めていく。
●その過程や実際に結果が出る時の感覚の中に、「働くことの喜び」という概念があると思います。
●そしてまたその一方で、一体感、というか、一つになることの喜び、というようなものを感じることがあります。
●つまり、「仕事をしているプロセスが楽しい」という状態です。
●この、「やっていること自体が楽しい」という活動を、「フロー経験」というそうです。
●ただ、当然、更なる高みを目指すには、このフロー経験のエネルギー(=好き・得意のエネルギー)だけではダメで、それは私が尊敬しているあるメンターの人も指摘しています。(それについてはまた後日述べます。)
●ただ、少なくとも、「ニート」と呼ばれている層の人達にとって、知っておくと参考になるのでは、と思うのです。
(私は彼らの中には頭のいい人も沢山いて、そうであるために中々行動に移せずにいる人や、あまりにも「自分の人生を有意義なことに使いたい」という意識とある種のプライドが高すぎて一歩を踏み出せない人がいるのでは、と分析しているのですが)
●つまり、「セミリタイア」も「ニート」も、どこかで仕事をなめていたり、嫌っていたりするところから派生しているものだとすれば、その現象の出方がプラスか、マイナスか、というだけで、同じ根っこのような氣がするのです。
●「仕事観」というのは、考え出すと結構奥が深く、色々な人が色々なことを言っているのですが、この「仕事観」とその人の収入にはどうやら相関関係がありそうだ、というのが私の直観です。
●そういう視点でフォーカスをしていると、例えば、最近の山崎拓巳さんの著書に「山崎拓巳の 道は開ける」という本があるのですが、そのカバーに面白いキャッチコピーが書いてあります。
●「働くだけの人生はごめんだ。 遊ぶだけの人生は退屈だ」という言葉があるのですが、これは先ほどのニートとセミリタイアの2つの極の層にいる人、もしくはそれを志向している層に対して、リーチするうまいキャッチコピーだな、と思うのです。
●それにしても、キャッチコピーですから、どこかにエッジを立てなければ人を惹きつけることはできませんから、「働くだけの人生はごめんだ」という言葉は、「働くことを徹底した場合」のマイナス面を強調してエッジを立ててコピーを作っています。→「働くだけ」の人生はごめんだ
(つまり、逆に言えば働くだけの人生で幸せになった人の存在に対しては無視するわけです。これは良い悪いではなくて、キャッチコピーをつくる上では仕方が無いのです。)
●そしてこの「働くだけの人生はごめんだ」という言葉は、何か今の仕事に不満をもっているビジネスマンや、転職をする勇気はないが、何か副業を始めたいと思っているサラリーマン(実際山崎さんはアムウェイのトップディストリビューターの一人ですから)、またはフリーターや何も考えずにただただ仕事に就いている人達など、およそ大半のサラリーマンの心に響くのではないか、と思います。
●または「働くこと」をあまりにも考えすぎてしまい、なまじ頭の良いためにプライドが無意識に高くなってしまい、一歩を踏み出せない、ニートや社会に出たことのない学生さん。
●この人達もまた、上昇志向があるために「働くだけの人生はごめんだ」と思うかもしれません。
●そして今度は、「遊ぶだけの人生は退屈だ」という言葉。
●これは実際に「遊ぶだけの人生」、つまり、働かなくても良い状態になった人生を体験した人にしか言えない言葉なのですが、億万長者の斉藤一人さんは、「だいたい遊びは100日もやったら飽きるよ」と言っています。
●(私も一昨年、転職する時に、2ヶ月ほど自分に休みを与えたことがあったので、その片鱗くらいは、少しは分かるような氣がします。)
●「でも仕事は飽きないんだよ」とは斉藤一人さん。
●実はこの、「遊ぶだけの人生は退屈だ」という言葉に、「仕事観」を考える上での重要なヒントがある、というか、仕事のもう一つの側面に対するエッジが隠されているんですよね。
●例えば、世界の億万長者である、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツの対談があります。
●結構有名なので、ご存知の方も多いでしょう。
●この対談を聞いていると、真の億万長者は本当に自分の仕事を自覚し、愛と感謝と使命感を持ってやっているのだな、ということが伝わってきます。
(こちらから無料で映像サンプルを見ることができます。ハッキリ言って、私はこれだけでもかなり価値があると思っています。)
●これが、「仕事」ということを考える場合のもう一つのエッジです。
●ある線を越えた億万長者は、余暇も仕事をしています。
●その意味では「働くだけの人生」なのです。
●その意味では「働くだけの人生はごめんだ」などと思ってはいないでしょう。
●でもこれを、「ただ働くだけ」という“ただ”という言葉をつければ別で、なぜならば、億万長者はただ働いているのではなく、「使命感や感謝、役割を自覚」して余暇も働くようになるからです。
●もう一つの「遊ぶだけの人生は退屈だ」というのは、一度セミリタイア状態を味わった方ならば、誰でも一度は感じるかもしれない感情です。
(事実、本田健さんは、そのことを通信コースの中で告白しています。)
●その意味でこれは、ある程度成功した人しか言えないセリフである、という意味では“豊かさ”の波動を発していますし、それに加えて、「遊ぶだけでは退屈」という、「より上の価値観を目指す」という波動が含まれています。
●その意味では、この本は、「自分の使命と役割・感謝」を自覚している大成功者以外の人間に対して書かれている本である、と言えるでしょう。
●「自分の使命と役割・感謝を自覚している。」
●これが、大成功者の「仕事観」です。
●その意味からすると、この本は、年収1億円以下の人間に対してターゲティングされて書かれている本ではないでしょうか?
●なぜならば、最低でも、年収が1億を超えなければ、中々「自分の使命や役割、感謝」を自覚する、なんてことはありえないだろうからです。
(もう少し厳しく言えば、もしかしたら、年収10億円以上かもしれません。
※勿論、世の中には、何事も例外は存在します。)
●年収が10億を超えてもさらに働こう、とする人は、少なくとも「働くだけの人生はごめんだ」とも「遊ぶだけの人生は退屈だ」とも思いません。
●使命感や感謝で動いている人間は、このコピーに反応しないのです。
●その意味ではこのコピーは、計算されているかは分かりませんが、実に上手いコピーなのです。
●年収10億円を超えている人、というのは正確には国内に何人いるかは分かりませんが、少なくとも、日本の人口の80%は(年収1億を)超えていないと思います。
●つまり、ほとんどの人の心に訴えかけるメッセージ性を持つコピーだ、ということなのです。
(本を多く売る、という観点ではマーケットが大きいというのは何よりです。)
●なぜこんなことを書いているか、といえば、さきほどの「働くだけの人生はごめんだ。 遊ぶだけの人生は退屈だ」というコピーは、「仕事観」や「人生観」を表しているからです。
●ここに、「何のために働いていますか?」という意識が嫌でも表れてしまうのであり、それによって年収も決まってしまうのです。
●つまり、「働くだけの人生はごめんだ」と思っている人は、パワーで行けたとしても年収3000万であり、そこから頭を使って、レバレッジ(投資)を効かせれば、まあ1億は時間の問題でしょう。
●ただ、良い悪いは全く別として、投資家として小金を稼ぎながら理屈脳で生きる人生で、どこまで「自分の役割・使命」に氣づき、「感謝と使命感」を持って仕事に生きれるか、と言えば微妙なところでしょう。
●また、多くの「働くだけの人生はごめんだ」と思っている人は、自分の仕事に真面目に取り組まない限りは、年収1000万もいかないでしょう。
●仕事を食べるためや生活のための手段、と思っているかぎりは。
●また、「遊ぶだけの人生は退屈だ」と心の底から言える人は、最低でも年収3000万以上の人です。
●この人達も、仕事観を変えることによって大きく稼ぐことができるようになります。
●ただ、年収3000万をとり、ある程度余裕があり、豊かさを味わっている人がさらなる上を目指そうとするならば、やはりそれなりの、「何のために仕事をするのか?」という仕事観が問われることになります。
(別に3000万でもいい、という人はそれでも良いのです。)
●つまり、本当は年収が3000万を超えてから仕事観を確立するのではなく、始めから確立しておいたほうが、早く3000万に達することができるし、それ以上に早く到達できるのです。
●億万長者の仕事観を意識することで、その他の年収の人達の意識レベルを客観視することができるのです。
(続く)