2006/04/16(日)02:02
素直じゃない奴
●ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
●今日は夕方に少しだけ、実家に戻っていました。
●実は、父親の誕生日が数日後にあり、2週間前に母から「寄れたら寄りなさい」と言われていたので、久しぶりに寄ってみました。
●私の家には、私が高校生の時から飼っている雑種の“まめ芝”の犬がいます。
●名前を「翔(しょう)」と言うのですが、やはり犬も10数年生きると当然のことながら老化します。
●今では道路を普通に歩いていても転んでしまうことがあるらしい。
●こういう話を聴くと実は非常につらいです。
●家族の前では顔は平気な顔をしていますが、心はしめつけられるようです。
●昔はあまり家の中でほえなかった“しょう”も最近はなぜか怒りっぽくなっていて、少しでもちょっかいを出すとすぐに吼える始末。
●昔はよくそんな“しょう”に対して怒っていましたが、今では「吼える元気があるだけましだ、噛みつくなら噛みついてみせろ」、と思ったりしてしまいます。
●動物病院の先生に、「あと1年くらい」と言われた、と妹から聞くとさらにつらくなってしまい、「ふ~~ん」と顔はポーカーフェイスなのですが、心はとても痛いです。
●実は、私、犬を飼うことに対して、反対でした。
●その理由はいたってシンプルで、“別れ”がつらいからです。
●そして、その“別れ”によって、自分だけならまだしも、他の家族が暗くなるのを見るのが嫌なんですよね。
●今日も、夕食の時、食卓の食べ物に手を出そうとした“しょう”が叱られているのを見て、「まあ、どーせあと1年なんだから(大目に見て)いいじゃん!」と言ってしまいました。
●すぐに母親や妹から「何てこと言うの!」と突っ込みを入れられましたが、当然この時の心中は、「あと1年なんだから」とドライに割り切っているのとは違うのです。
●どちらかと言うと、自分に言い聞かせている。
●“しょう”が死んだ時のために、自分がショックを受けないように、今から予防線を張っている、そんな弱い人間なわけです。
●当然顔はクールを装っていますから、そんな心中など、誰も知る由もなく、この性格って、きっと他の人達にも誤解されているんだろうなぁ、とつくづくと思います。
●悲しみにひたりたくないから、そうならないようにクールに装う。
●なんともまあ、子供ですよね。
●そんなことを思いながら、帰り際、母が送ってくれましたが、両親に対しても素直になれない自分。
●実は、ちょくちょく家に帰るようになったのは理由がありまして、去年、ある有名な霊視の先生に見てもらった時に、「あなた、両親にとても心配をかけていますよ。」と。
●そして私との関係が原因で、心労で、早くあちらの世界にいくかもしれない、と言われたからです。
●この時もショックでしたね。
●そんな想いを心に秘めながら、「とにかく健康には氣をつけなよね。こっちも心配しちゃうんだから」と言うのが精一杯。
●「私が悪くなったって、あなたは困るわけじゃないじゃない」
●はい。確かにそうなのですが、今まで元気だった家族がだんだんと弱ったり、身体を悪くしたりしていく姿を見るのはとてもつらいものがあります。
●とにかく、いつまでも元気でいて欲しいと思うこの気持ちを、また秘かにブログに書いている自分とは一体、素直なやつなのか?それとも素直でないのか?
●そんなことを想いながら帰宅していると、ふっとリンクをしてくださっているシンブさんの日記を読む機会があり、そこで、「母の貯金」というフラッシュを教えて頂きまして、私も感動しましたので、ここに紹介させていただきます。
●母の貯金
●老いや死は、誰の身にも、どんな生命体にも平等に訪れるものでありますが、周りの人を悲しませる死に方、老い方、というのがあるのであれば、“周りの人を幸せにする”老い方、死に方というのもあるのではないか?
●そんな『養生観』『死生観』というものを身につけたい。
●と、心から思うのです。