157.奉職ご希望の方へ
青葉台初等学部の先生になりたいという方々の問い合わせが多数なのでこの場において、いくつかまとめてお返事させていただきたいと思います。まず第一に確定的に申し上げておきたいことは民間ですから、分不相応に待遇が永続する公務員空間頑張っても頑張らなくても待遇が変わらない空間ではないということ。黎明期で生徒数も少ないので(当然に)報酬は安いと思います。ボーナスも出ないかもしれません。頑張った人、子たちを託してよかった人だけに報いる必然の空間。そんな待遇不安定な異次元職場でもよろしかったらどうぞ。もし、奉職したいのであればいっしょに素晴らしい小学校を創ろうという真の底力がある方。公務員をはるかに超える高給を取得できる学校を創るのはあなた自身。そういう感覚(自己立脚)が無い方は最初からご遠慮いただきたい。「先生」 たる似非プライドを持ってしまった人は一番困ります。「わたしは、ぼくは、先生としてのプライドを持って生徒に接する」たしかにそういう自負は教師にとって必要不可欠であろうともはて?この人のプライドが依拠する実体ってなに?という見地に立つと、かなり寒々しい残像のみの空虚しか残りません。本当のプライドとは、生徒さんの成長とともに醸成されるものであってほんとうは歳をとって退職するまで、いや、死ぬまで持てないもの。錯覚した似非プライド者(若くして過渡的自己完結してしまった人)は願い下げです。必要最小限のプライドの無い先生も困り者ですがマニュアルのみで育ってしまった先生(もどき)がいかに多いことか。そのような「教師原初的未発達」は私立では許されないということそのへんをもう一度熟慮した上で自己アピールしてみてください。(蛇足)表題に「奉職」と書いたこと。今では死語と成り果てたのでは?昔は、職をもって奉じるという男の「逃げ道」がありました。現代では男の美徳(ときとして方便)としての奉職がバブルひきづりの「飽食」に変容しているように感じます。先生とは、先んじて生き、範を示し、先に死に自らの死をもって死に方を教える人をいう。そういう「示唆可能性」豊かな人のみを求めています。