カテゴリ:教育
みなさんは小学生のころ、または高校生のころ、自分はなにになりたいと思っていましたか?
小学3年生の私は、バスの運転手になりたいと思っておりました。 バスに乗ったら、必ずや運転手さんの横、一番前の席に座って前方の大きな窓ガラスに映る豪快な景色の展開に目を奪われるとともに、でっかいハンドルを体全体で自在に繰る運転手という職業に憧れました。その一番前の席の前、昇降口にはバスの車掌さん。子供ごこにも車掌さん、みんな美人で可愛かった(ように見えた)。運転手になればそんな美人と毎日仕事できるんだという、不埒な気持ちもあったかと思われます。 ベネッセなどの調べによる「なりたい職業ランキング」 小学生の場合(5位まで) 「男子」 1 サッカー選手 2 医師 3 野球選手 4 ゲームなどクリエーター 5 シェフ・調理師 (最近は錦織選手の影響か、テニス選手が10位に上昇) 「女子」 1 医師 2 パティシエ 3 保育士・幼稚園教諭 4 獣医師 5 教師 高校生の場合 「男子」 1 教師 2 公務員 3 研究者・大学教員 4 医師 5 システムエンジニア 6 警察官 7 薬剤師 8 芸能人 9 理学療法士等医療関係 10 弁護士等法曹 「女子」 1 保育士・幼稚園教諭 2 教師 3 看護師 4 薬剤師 5 理学療法士等医療関係 6 公務員 7 医師 8 芸能人 9 栄養士 10 臨床心理士 ![]() 高校生にもなりますと、より自らの現実との兼ね合いなのかどうか、現実味を帯びたジャンルが濃密になるようですが、おしなべて、人(自分の後輩たち)の成長に関与したい、教えたい(教育分野)。人を助けたい(特に医療分野)という、いわゆる親爺的見地では「崇高」なるステージへの転化があるようですね。 で、その高校生時代における職業意識も、大学に進み、その「なりたいジャンル」のまま目標を達成する人は意外と僅少であることに気づかされます。 というよりか、小学・中学・高校ときて大学に進んだとたんにもっと厳しい現実に直面し、いったい俺は私はなんになりたいのかわからなくなってしまう人が実に多くなってまいりました。 なぜ自分の今、そして自分の将来像がわからなくなって、極端な話では引きこもりニート的になってしまうのでしょう。就職してお祝いされたのに、何年もしないうちに転職を繰り返すのでしょう。(転職がよりよい選択の場合もありますが) おそらくの話ですけれども、ほとんどの子が幼少の頃から「いい子」だった可能性があると感じます。(いい子というのは、親に対してのいい子という意味合いが強い) 子は親の期待に答えようとします。無意識による全身全霊の「よい子」ですから、それが反対方向に行くと収拾がつかなくなる。そういう家族の例を某裁判所系の仕事でたくさん見てきました。そのような「よい子」が「何故にこうなるの」という実に多くの例が示すことも考えておくべきであると考えます。なぜなら、かくいう「よい子」の親御さんの大多数が、功成り名を遂げ、押しも押されぬ立派な人生を歩んで来た社会的尊敬対象者であるからであります。 もう一つ。(頑張ったのに社会的挫折してしまう場合) 親御さんが正真正銘の立派な方々であり、子の前に立つこともなく、自分の履歴を子のプレッシャーにもせず、子自身の育ちを信頼して育てたのにもかかわらず、いわゆるよい子が「元」よい子になってしまう場合があります。よ~く見てみると、実はこっちの方もそれらの原因として厳然としてあると断じてよいと思います。 教育。親がいくら子を信じて、言いたいことを我慢して、立木の横で歯がみしながら見ることを続けたとしても教育現場で壊されることが実に多い。 教育勅語等を唱和させ、全員を同じ理念とやらに塗りつける幼稚園が、小学校に上がるとその理念が壊されるといって、来年に小学校を創るという話を書きましたけれども、その突拍子もない発想は、あり得ないので笑って読み捨ててください。(但し、日教組による偏向教育のアンチテーゼとしては理解してよいと思います) 親がいかに立派でも(立派であればあるほど)壊れてしまう場合もある。 期待に応えたい。応えられないかもしれない自分との葛藤に、いつしか疲れてしまう自分に気づくこともできず、自分を見失ってしまう子は多いです。もちろん、期待どおり、自分が考えたとおりの道を突き進む逞しい子もいるけれど。 だからこその教育であり、だから青葉台である。 青葉台であるからこそできること。 幼稚園・小学校という一番大切な時期は、親にとっての平板(二次元)ないい子ではなく、立体的な(自分という三次元の直立した一辺を持つ)子に育てることであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年06月02日 22時11分37秒
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