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お散歩うさぎさんのブログ 《京都・いろ色》

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2019/05/27
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二条城の南の位置にある神泉苑は
清泉が湧き出ることで
その名が付いたそうです。

平安京遷都とほぼ同時期に
天皇御遊の庭園として造営され
池を中心に
二条から三条まで南北4町(約400m)
東西に2町(約200m)の大庭園だったが
徳川家康が二条城を造営した際
大部分を城内に取り込まれ
規模が小さくなったようです。

5月2日~4日、
神泉苑祭がおこなわれました。











法成池に架かる法成橋
池の周りはツツジが見頃でした
















5月3日の夕刻に法成橋の上で
「静御前の舞」が奉納されました。
前半は静の舞、
後半はいろは歌~、三千世界の祈り
神泉苑祭の祭事の一つです。

1182年に大日照りが続き
加茂川や桂川の水も絶え
日本中の人々が苦しんだ時
慣例により神泉苑に各寺院の高僧が
集められ祈雨をおこなったが
効果がなく
100人の白拍子を集め
後白河法皇の行幸を仰ぎ
99人が舞い終わっても雨は降らず
最後のひとり、静御前が舞ったところ
にわかに黒雲が出て三日間大雨が降った
法王は感激し「日本一」の称号を与えた。

この折に義経が静御前を見初めた
ということのようです。



雅楽の音に合わせて静御前が舞います



































・・・・・・・
神泉苑の伝説の一つに
824年の大干ばつの折、雨ごいを
東寺の弘法大師に命じたところ
西寺の守敏僧都が自分は大師の先輩であり
請雨経法に長けていると
先におこなうことを申し出たので
守敏に下命したところ
七日目に雷鳴を伴い雨が降ったが
洛中だけで洛外まで及ばなかった。

弘法大師が七日間祈雨したが
一滴の雨も降らなかった
不思議に思い大師が調べたところ
守敏が諸龍を
瓶の中に封じ込めていることがわかった。

大師は二日間の祈雨の延長を願い出て
善女龍王を勧請し祈雨したところ
黒雲が天を覆い雷鳴とともに豪雨となり
雨は三日間降り続き大地が潤った。

それより神泉苑は善女竜王の棲家とし
祈雨を行う場所になった。

また、神泉苑の法成池は
水が枯れることがないと言われています。

・・・・・・
祇園祭と神泉苑
疫病が大流行した際
神泉苑に多くの御霊を鎮めるため
御霊会がおこなわれ
全国の国の数66本の鉾を立てて
神泉苑の池にくりこみ厄払いを行った
その後、鉾に車を付け飾りを施して
京の町を巡行する祇園祭となった。





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Last updated  2019/05/27 12:27:10 PM
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