秋山真之伝記(黄海海戦、一斉に右16点に回頭せよ)
明治37年8月10日13時30分、 ロシア太平洋艦隊と連合艦隊第1戦隊は、同航戦になっていました。 しかし、彼我艦隊の距離は約9,000mもありましたから、 たとえ戦艦の主砲といえども敵艦に当たる距離では無かったようです。 その後、ロシア艦隊は針路方向に再び(あるはずもない)機雷を発見して、 右8点(90度)の逐次回頭を行い触雷を避けたのです。 第1戦隊から見れば、蛇行するロシア艦隊の真意など判るはずもありません。 敵艦隊は南南西に針路を変えた時、旅順に戻るのではないかという不安が頭をもたげたはずです。 やっと穴から出てきてくれた獲物を易々と逃げ帰らせる訳にはいきません。 殿艦となっている連合艦隊旗艦「三笠」から、13時33分、 『一斉に右16点に回頭せよ、速力14浬(ノット、約26Km/時)』 の無線電信信号が発せられました。 第1戦隊は、16点の一斉回頭により、隊列を最初の状態に戻すことができ、 ロシア艦隊の一歩前に出て、これならロシア艦隊の頭を押さえることができそうです。 13時40分、彼我艦隊の距離は約8,000mまで近づいていました。 しかし、ロシア艦隊は、さらに左に大きく回頭を開始したのです。 今度は、魚雷を発見したからではなく、 ウラジオストックへ回航する予定の針路と大きく外れたために、 これを修正すると同時に、 第1艦隊の後方をすり抜けて、やり過ごすことを考えたのでしょう。 一方、第1戦隊は、これまでロシア艦隊の方向に鋭敏過ぎるほど素早く対応していたのに、 今回は何の反応もしなかったのです。 両艦隊は、反航戦となり、互いの距離は広がるばかりでした。 14時5分、彼我艦隊の距離は約11,000mまで広がっていました。