000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【ログイン】

坂の上の雲をみあげて

PR

カレンダー

カテゴリ

2011年01月28日
XML
カテゴリ:秋山好古伝記
 日露戦争当時、騎兵の旅団は2つあって、第1騎兵旅団長は秋山好古少将で、第2騎兵旅団長は閑院宮載仁(カンインノミヤ、コトヒト)親王少将でした。

 第2騎兵旅団は、遼陽会戦(1904年8月24日-9月4日)までは実戦投入されることは無かったのですが、2万以上の死傷者を出してその補充がままならない状況下、ついに黒木大将の第1軍に配属されることになったのです。

 ただし、宮さまを戦死させるわけにはいきませんから、載仁親王は中将に昇進して満州軍総司令部付となり、好古配下の騎兵第13連隊長田村久井(ヒサイ)大佐が少将に昇進して第2騎兵旅団を引き継ぐことになりました。

 急な人事異動の発令ですし戦時中でもあり田村は直ぐに異動できず、その間は載仁親王中将が第2騎兵旅団の指揮を任されていて、その間に「沙河(サカ)会戦(10月9日-20日)」が始まってしまったのです。


 10月9日の午後、第1軍の参謀長である藤井茂太少将は、満州軍総参謀長の児玉源太郎に呼び出されています。

 第1軍はロシア帝国陸軍の攻撃を受けている最中ですから、この時点での参謀長の呼び出しはよほどの事です。


 突然のロシア軍の南下に、満州軍総司令部は攻勢か守備に徹するか議論があったようで、児玉は珍しく迷い、藤井に意見を求めたようです。

 藤井は攻勢に出ることを進言して、急ぎ第1軍の司令部に戻ることになりますが、藤井の参謀としての能力を児玉は高く評価していたのでしょう。


 藤井が司令部に戻った頃は、既に夕方になっていて、載仁親王の第2騎兵旅団が出動するところでした。

 この時、ロシア軍の猛攻にあって梅沢旅団が危機に瀕しており、黒木司令官は第12師団を救援に向かわせたのですが、それだけでは足りず第2騎兵旅団まで救援に向かわせたのです。


 藤井は陰で「人を籠絡するの巧みなる」と言われたこともあって、寺内陸軍大臣の息子の歩兵中尉を師団参謀にするよう画策したりして問題になったようです。

 歩兵部隊の指揮官より師団参謀の方が戦死する確率が飛躍的に低くなりますので、この画策は寺内への「へつらい」であったでしょう。

 このようなことから、もし藤井が児玉に呼び出されずに第1軍司令部で黒木司令官の参謀職を務めていたなら、第2騎兵旅団の出動は身を挺して止めたかもしれません。


 第2騎兵旅団は、機関銃を分解して人出を使って山岳部を運び、これを効果的に運用することにより、第1軍の崩壊の危機から救っているのですから、

 英才児玉源太郎にしては珍しい戦略上の「迷い」が勝ち運を手繰り寄せたのかもしれません。

にほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へ
にほんブログ村 





楽天SocialNewsに投稿!

最終更新日  2011年01月29日 03時06分37秒
コメント(0) | コメントを書く
[秋山好古伝記] カテゴリの最新記事
Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2017 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.