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カテゴリ:秋山真之伝記
「東郷平八郎」司令長官の旗艦「三笠」が左に回頭を開始したのは、
14時5分とされています。 その後に続く第1戦隊の各艦(戦艦「敷島」、「富士」、「朝日」、装甲巡洋艦「春日」、「日進」)は、 三笠の行動にさぞかし驚いたことでしょう。 三笠の露天艦橋ですら、この回頭に対して、 若干の争議(「伊地知彦次郎」艦長の反問)があったくらいですから。 しかし、12時38分に「三笠」より第1戦隊に、 『旗艦の通跡を進め』 という信号旗が掲げられていましたから、 敷島以下の第1戦隊は、三笠の航跡に従ったのです。 三笠を先頭とした第1戦隊が、バルチック艦隊の前を無防備に横切っていた時、 司令長官「ロジェストヴェンスキー」中将旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」のセーラー達は、 色めきたったといいます。 「トーゴーは、気でも狂ったのか。 すぐに、敵艦隊を叩き潰してやる。」 どうやら、ロジェストヴェンスキーも同じ考えであったようで、 これを好機の到来と確信して、全艦隊に戦闘開始を命じたのです。 14時8分、「クニャージ・スヴォーロフ」より最初の一弾が三笠に向けて発せられ、 以下の艦船も砲撃を開始し、 その砲撃は、着弾による水柱のために、三笠の艦影が消えるほど凄まじいものであったといいます。 このようにして、「秋山真之」先任参謀の描いたシナリオ通りに 日本海海戦が開始されたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月15日 16時12分22秒
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