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2011年12月23日
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カテゴリ:秋山真之伝記
 第1艦隊参謀長を約1年8ヶ月務めた後、大正元年12月(45歳)、

 秋山真之は陸に上がり、軍令部の参謀(海軍大学校教官兼務)になります。


 翌年、海軍大学校同期のトップをきって、海軍少将に昇格するのですから、

 真之は海でも陸でも陽のあたる道を歩いているという感じであったでしょう。


 この頃、海軍始まって以来の大疑獄といわれる「シーメンス事件」が発生し、

 真之のキャリアにも大きく影響を及ぼすことになります。


 政府は、シーメンス事件を早急に後始末する必要に迫られ、

 次期海軍大臣のポストには、派閥に無縁で名利に潔癖であるとされる「八代六郎」中将に白羽の矢が立ったのです。


 八代は、次官に「鈴木貫太郎」少将、軍務局長に真之を指名して、

 この難局を乗り切ろうしたのですが、

 鈴木は次官の就任を躊躇したようです。


 事件の処理方法を誤れば、次官の職を解かれるだけでなく、

 海軍まで辞めねばならないからです。


 鈴木は、最終的に次官への就任を承諾するのですが、

 当時のことを次のように回想しています。


 『秋山君が八代さんから頼まれて、

 私に是非海軍次官にということをいって来られた。


 私は「行政上のことは嫌いだから断る」といって最初は断った。

 むしろ秋山が適任だから「君がやったらどうか」といった。


 しかし秋山君は「僕には敵が多いから君がやれ」といったが、

 「いやだ」と断ると電話を切ってしまった。』

 
 真之は、八代とは肝胆相照らす仲であったこともあり、

 進んでこの難局に飛び込んだようです(大正3年4月、真之47歳)。





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最終更新日  2011年12月24日 11時28分11秒
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