仁風閣
日露戦争から2年経過した明治40年、海軍軍令部長東郷平八郎大将は、伯爵を授爵した後、皇太子殿下(後の大正天皇)の中国地方行啓に随行しました。 皇太子殿下の鳥取市での宿泊施設は、 旧鳥取藩主「池田仲博(ナカヒロ)」侯爵が私費(当時の鳥取市の1年間の予算額と同程度であったそうです)を投じて鳥取城跡に建設した「仁風閣(ジンプウカク)」です。 池田侯爵に請われたのかどうか、この館名は東郷が命名しました。 一階正面に「随員控室」があり、ここに東郷が座っていただろうことを思うと、なかなか感慨深いものがあります。 秀吉の渇殺し(カツエゴロシ)の舞台となった名城鳥取城跡に西洋建築など無粋ではないかと思っていましたが、 その有無を言わせぬ建築美に圧倒されてしまいました。 正面から見た仁風閣の全景です。左手には、鳥取城二の丸の御三階櫓の石垣が見えます。 当時、鳥取県下で始めて仁風閣に電灯が灯されたそうです。明治15年、東京銀座に始めてアーク灯が灯されてから25年後のことでした。 この部屋が「御物置」です。 多分「御座所」に設置されていた暖炉の装飾です。タイルでしょうか? 宝隆院庭園側から見た仁風閣です。ちなみに、国の重要文化財に指定されています。