わしの記念署名帳に署名してくれんか
永沼挺身隊は選抜騎兵176騎と満州の馬族を2百騎(2千騎と書いてある図書もあります)を雇った比較的大規模なものでしたが、 永沼挺身隊の出発と同じ日(1905年1月9日)に出発した建川美次(タテカワ、ヨシツグ)中尉の斥候隊はたった6騎でした。 建川斥候隊の主な任務は、「満州のロシア帝国陸軍の移動状況および兵力の偵察、鉄道輸送の状況および搭載物件の偵察」でした。 この頃になると、日本満州軍もクロパトキンの後退しながら日本軍の兵站線を延ばし、延びきったところで決戦を挑むという作戦を察知していました。 そこで、クロパトキンが決戦を思考している場所は奉天なのかそれより70キロ北方の鉄嶺(テツレイ)なのかを推察する情報を得る必要があったのです。 建川は、奉天を軸に遼陽と鉄嶺間を大きく円を描くように進軍し目的を果たして帰陣したのですが、凍傷が重く、満州軍総司令部への報告は同行した豊吉軍曹に任せました。 以下は、豊田穣著「二人の挺身将軍建川美次と永沼秀文」からの引用です。 『豊吉がそう報告すると、 「そうか、いや、全員、じつに御苦労であった。とりあえず豊吉軍曹、わしの記念署名帳に署名してくれんか」 そういうと、児玉(源太郎、満州軍総参謀長)はその署名帳を豊吉の前に差し出した。 その帳面の署名を見ると、豊吉は筆をもつ手がふるえた。 皇族をはじめ、伊藤博文枢密院議長、桂総理、乃木希典第三軍司令官ら多くの高官の署名がずらりと並んでいる。』 建川斥候隊の活躍は1931年(昭和6年)に出版された少年向け小説「敵中横断三百里」で有名になり、1957年(昭和32年)には映画化もされていますが、この映画には残念ながら秋山好古は登場しません。 そのかわり、大山巌総司令官役の柳永二郎(ヤナギ、エイジロウ)と児玉役の中村伸郎(ノブオ)が実にいい感じで、この二人の配役はドラマ「坂の上の雲」をはるかに上回っていると思います。黒澤明 名作セレクション::日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里価格:3,591円(税込、送料別) 建川斥候隊の活躍は有名になりすぎたためか、1936年(昭和11年)に出版された好古の伝記には軽く触れられているだけです。 『五、六騎より成る挺身斥候を諸方に放ち、敵情視察に務めた。 建川中尉(美次)の挺身斥候のごときもその一例にして、同斥候は実に敵中深く侵入して、よくその任務を達成したのであった。』にほんブログ村