A-Wyeth雑感02 NCWyeth父 N・C・ワイエス(1882~1945)アンドリューワイエスの父、ニューウェル・コンバース・ ワイエスはイラストレーターとして成功をおさめた人です。 先祖はスイス・フランス系、ニューヨークに近いペンシル バニア州に居を構え、ユニタリアンという宗教一派に属する そうです。 繊細な画風に似合わず、大変大柄でその豪腕ぶりは近所でも 有名だったそうです。早くからパワード・パイルというイラ ストレーターの元で絵の修行をし、まもなく大手の出版社から 挿絵の依頼が殺到します。 アンドリューの文章ではその絵画は挿絵の領域に留まらず 新しいアイデアにとんだ革新的な絵画と断言しています。 第1次世界大戦がヨーロッパを席捲している間もアメリカは 好景気を持続したため、商業美術が隆盛し、父はイラストで 財をなします。 大きな家には召使がおり、テニスコートがあり、最高級の T型フォードに乗っていたそうです。(この車は後に悲劇を もたらします。)N・C・ワイエスは1906年にキャサリン と結婚し、5人の子供をもうけます。女3人男2人、 アンドリューは末っ子です。 誰もが知っているように19世紀末より西洋絵画はパリを 中心に発展します。百花繚乱世界中から文化の中心、自由に 作家活動ができ発表の機会が多いフランスに芸術家が集まり ます。アカデミーの絵画に変わって今まで評価されない個性的で 革新的な絵画が認められています。 その中でアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)と いうチェコ生まれのアールヌーヴォーの画家も新しい分野、 ポスターという商業美術の面で成功した画家もいます。 現代でもイラストレーターの祖として敬愛されています。 ミュシャは1910年頃から壮大なテーマ「スラブ叙事詩」 に取り組みます。縦横5メートル近くもある大作でミュシャの 集大成ともいえる連作でした。しかしこの美術館を占有する ほどの大作は美術評論家には不評でした。 すでに西洋絵画は「物語」からはずれ絵画の特徴「色と形」 のみを純粋に追い求める時代に入っていたのです。アカデミー の絵画ではギリシャ神話やキリスト教をいった「構想画」と 言われる絵画が最も地位が高いとされていましたが、すでに アカデミーに落選した画家たちの展覧会等によって絵画の風土、 背景は大きく変わっていました。 アメリカの大衆紙や表紙や商業イラストで成功したハワード・ パイルやN・C・ワイエスの仕事は何かこのミュシャの絵画を 連想させます。出版文化の発展で多くのイラストレーターが 誕生し多くの人々の注目を集めます。 現在でも純粋絵画と商業絵画は区別され商業絵画は一段低く 見られるのが常識です。しかしN・C・ワイエスの仕事はアンド リューがいうように単なる大衆向け、子供向け絵画の域を超え ていました。 N・C・ワイエスの仕事は小説「宝島」「三銃士」「巨大生物の 島」等、当時のアメリカ人が誰でも目にしたであろうほどポピュ ラーでした。しかし後年その成功にもかかわらず自分の画業に 嫌悪感を抱くようになったといわれています。 続く |