A-Wyeth雑感08父と子Andrew-Wyeth雑感08父と子 アンドリューワイエスと高村光太郎はよく似た境遇で育ちそして既存の 美術界に入るのを拒み、孤高の道を選ぶという人生を歩みます。 父の期待に応えられなかった光太郎は放蕩息子の評判が立つくらい自 堕落な生活に落ち込みます。現代の放蕩とはかなり中身が違うようだが、 頻繁に光太郎が遊郭に出入りし周囲の顰蹙をかっていたのは確かである。 彫刻は小さな対象を彫る程度だったが文学のほうが活発だったようだ。 当時の世間はあまり放蕩に厳しくなかった?という予測もたつが、 ともかく収入は翻訳や美術評論だったらしい。 高村光太郎の随筆「出さずにしまった手紙より」 「一人引き込んで一晩中椅子に腰掛けたまま様々なことを考えた。親と子は 実際講和の出来ない戦闘を続けなければならない。親が強ければ子を堕落 させていわゆる孝子にしてしまう。子が強ければ鈴虫のように親を食い殺し てしまうのだ。ああ、いやだ、僕が子になったのは仕方がない。親にだけは なりたくない。」これは光太郎の心の葛藤を述べた文章である。 本人がいう精神的荒廃は当時の「飛んだ女性」の長沼千恵子と出会う ことによって救われる。千恵子という従来の日本の女性の規格から遠く はずれた女性の眼を通して客観的に世の中を見ることができ復活する。 結婚後千恵子は実家の破産から精神的に異常をきたすようになります。 しかし「千恵子抄」という光太郎の詩では大変美化されて表現されて います。それは「根付の国」で表した古い日本の体制に対する新しい 時代の「象徴」である千恵子を賞賛したものととらえられます。 20世紀のアメリカは世界の経済をリードするといっても文化的には 日本と同じ西洋コンプレックスがあった。だだっ広いが薄っぺら、アメ リカの風景を描く画家には高い評価が与えられない。「セザンヌやミレーや コローが描いた風景はアメリカにはない。深みがあって重厚な風景を 描くにはヨーロッパに行かなければ。」こういう声が上がる中、アメリカ の田舎の風景を描くアメリカン・リアリズムの画家たちがいる。 しかしアンドリューの父はリアリズムが時代遅れの復活しない芸術だと 認識していました。いかにアンドリューの才能を信じていても 「アンドリュー、そんな絵をいくら描いても売れはしないよ。」これは 偽らざる心境だったと思う。すでにピカソやマチスが世に出、ヨーロッパ の芸術家の作品は高く売れるが国内の作家は低く見られていたので当然の 判断だと思う。当時ヨーロッパから新大陸へ沢山の芸術家が移民してくる。 20世紀のアメリカの商業美術の発達は「わかりやすい大衆に受け入れ られやすい。」イラストレーションの発達に及ぶ。 ノーマン・ロックウェル(1894~1978年)はN・C・ワイエス と同じハワード・パイルの門下生である。イブニング・サタデー・ ポスト誌の表紙で圧倒的な民衆の支持を受け、ポスト誌の売り上げに 貢献したそうである。 N・C・ワイエスもポスト誌の表紙絵を描いているが、この全米デビュー のチャンスが子供アンドリューにまわってくる。1943年にアンドリュ ーのイラストがポスト誌の表紙を飾る。父の理想が実現しようとしている。 安定した収入と名声、そして自分の後継者が実現することになったと 思われた。しかし次にきたポスト誌の表紙依頼をアンドリューは断って しまいます。尊敬する父より大きな期待を持って船出したはずの表紙 制作の依頼を何故断ってしまったのか?父の落胆はいかほどか?父と子に 何があったのだろう?この瞬間は私には不明の部分が多いが。 父は愛するわが子のためにイブニングポスト誌の表紙絵の仕事を譲る 気持ちであったのだろう。そしてその実力はそなわってきた。しかし アンドリューの絵画と自分の絵画の「質」のの違いを理解せず強引に イラストの技を伝授しようとします。いつものように父は平気でアン ドリューの作品に手を加えます。少しずつアンドリューの心に父への 反発が芽生えます。しかしあまりの父の威厳に言葉にすることは出来ず 大きいストレスとなって心が痛みます。 アンドリューワイエスの制作方法は沢山の習作、ドローイングを鉛筆 或は水彩で描く。特に初期は現地主義、ペンシルバニアとメイン州の 郊外の丘や畑、小川等を座り込んでその場の雰囲気を大切に時には30分 で描く。その習作は部屋に散らかされあまり日の目を見ないかもしれない。 そして大事なのはイメージを蓄え継続して夢に描きその煮詰まった イメージをテンペラ画に表す、という方法をとる。特徴は頭の中がイメージ (彼が言うEMOTION)は最も制作に大事なものでまた壊れやすい。寝て いるときも他の行動をとっているときも考えることは常にイメージである。 この制作方法ではポスト誌のイラストを制作する、ということも片手間 では創れない。といって表紙制作にのめりこめば自分の本来の作品をつくる ことが出来ない。無理だということがだんだんとわかってきてやがて大きな 苦痛に変わることは容易に想像できる。断ってしまえば一番簡単では あるが父の手前、なかなか切り出せない。それに安定した収入の面でも 大きな不安がある。しゃにむに父の加護で絵を描いてきたアンドリューに とってピンチが訪れます。 続く |