謹賀新年
今年もお知り合いの娘さんをお借りして新年のご挨拶をさせていただきます。このところすっかりブログから遠ざかっていますが、新年くらいはと気力を振り絞って書き始めました今年の年賀状は長野県北部の飯山市のかまくらの里です。私が小さくしか映らないのでアップにしますね。20基ほどのかまくらがあり、中で鍋料理が食べられるそうです。年賀状の句は若いころの句で、高校が日本海を望む松林の中にあったので、授業をサボッたり、野球部の練習あとに、浜辺に出て佐渡ヶ島と対話していました。この句を佐渡が見えるどこかに句碑にしたいのが私の夢のまた夢です。私は新潟市の隣町・「亀田町」(現新潟市江南区)で生まれ育ちました。京都帝国大学法学部卒の父が、旧国鉄に勤め、仙台・青森・秋田・新潟と転勤して、転勤先でそれぞれ子をもうけ新潟で生まれたのが私。私が生まれて1週間で、長男で役所勤めにも関わらず赤紙が来て、満州からフィリッピンに渡り、20年4月にルソンt島で戦死しました。(母が言うには、敵に囲まれたので、部下を捕虜にだし、部隊長の自分は自決したそうです。多分美化してるね!)父の死がハッキリすまで数年亀田の官舎にとどまり、その後も父の実家(青森県おいらせ町)に入らず、母子寮や借間に移ってそのまま亀田に住み着いたということなので、実家なんてものはないんです。それはどうでもいいけど、亀田製菓の♪かめだのあられおせんべえ~・・・を食べたら、、わたしのことを思い出していただけたら嬉しいです。今年もよろしくお付き合いのほどお願いいたします。