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★ 季節を感じながら・・・ ★

★ 季節を感じながら・・・ ★

えっ?・・まさか・・

7月8日(初診日)

 年が明けたときに「今年は人間ドッグに行こう」と友人と強く約束していたにもかかわらず、アキレス腱断裂というアクシデントがあって、行けずにいたのがナゼか気になっていたこと、数日前、アルバイト先の仲間と乳がんの話が出て、私はず~っと自覚していた芯のような(?!)、筋のような(?!)しこり(検診で指摘されたことはありませんでした)に急に不安を感じて、小さな町の総合病院へ。

 外科外来の初受診。触診した医師は首を傾けただけで、
マンモグラフィー・検査技師によるエコー、その結果、ふたたび診察室に呼ばれた時に、マンモの画像の白い点(石灰化)を指し示しながら
「この点とね、しこりの部分が一致しているようだ。さらに詳しい検査が必要だけれど、大きな病院に行きますか?」医師の言葉を要約したのではなくて、これがほぼ全て。なんのことやら、そのときは考える力がありませんでした。

「ここでは、無理と言うことですか?」

「いや、そういうことではない。全く問題ないけれど、生検をした後に病院を変わるのは・・・」
診察室で、瞬時に答えを求められた私は、「ここで検査を進めてください」
 外科外来手術(生検)を5日後に予約、血液検査

病院を出て、車での帰路の間、「まさか・・、まさか・・・」と言う言葉が頭の中をグルグル、いや~な気分と、何とか楽観的に考えようとする、「まさか」と・・
途中、数年前同じ病院でやはり生検を経験している友人Mちゃん宅へ
 そうだよ、異常なしを確認するための検査だよ。何でもなかったよと後で笑っていたい。

7月11日(外来手術)

 夫が会議のため、Mちゃんにお願いして病院まで。ちょっとしこりを取るだけ、と言う割には本格的な手術室にびっくり。術中、ずっと手を握り続けてくれた看護師さんに心から感謝。手術が終わると真っ先にお礼。終わった直後から痛みが出て、Mちゃんが居てくれて助かりました。外来の看護師さんは、自力で運転して帰れると言っていたけれど、絶対に無理でした。
結果は、1週間程度あと・・・どうか、良性でありますように・・


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この、初診時から、生検を経て結果が出るまでの10日間余りが、私にとって1番心的にきついと感じた時期でした。

立場的にどうしても言っておかなければならない処以外、親にさえ状況を話していなかった中で、Mちゃんの「がんばらなくていいよ。私で良かったら弱音でも何でもぶつけていいからね。」という電話の言葉に、受話器を置いたら初めて涙が止まりませんでした。また、不定期ながらお手伝いしていたアルバイト先でも、私が居なくては困るのだから(そんなことはないのですが)待っているからね。という言葉に、人に話をすることでなんだかちょっと気持ちが楽になり、前を向こうという気持ちになれた、ということもありました。

 今だから思うことなのですが、この時期にしっかりと強い気持ちで「乳がん」について、冷静に調べて、必要な知識を得ていたら、ちがった展開もあったのかもしれないな~とは思う時があるのですが・・・
だけど、その時の私は、情けないほど、行動力も、思考力もありませんでした。あったのは、最悪ばかりを考える不必要な想像力と、それをうち消そうとする気持ちの繰り返しでした。

 「細胞診」という検査過程はありませんでした。初診の次にいきなり「腫瘤摘出生検」だったのです。
生検手術の翌日、消毒していただいた医師に「どうなのでしょう?・・・」と訊ねたときに、「クラス3だから・・、まあ、結果を待ちましょう」
つまり、腫瘤摘出した検体で、細胞診が行われていたのでしょうか・・・?!
いい方に考えると、最短で診断されたのですから、私に限っては結果オーライだと言い聞かせてはいるのですが、良性だったら?やはり、切らずに細胞診の段階で済むのです。
 「腫瘤摘出」を予約した時点で、「細胞診」という過程を飛ばしたことに、説明はありませんでしたし、私自身その時はおぼろげな知識で、疑問にさえ思わなかったのです。
 不安定な心境ながら、「クラス3」というのが、良性とも悪性とも言い難い状況であるというのを調べて、そこにすがっていました。


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