告知~生検手術の後は、ほぼ毎日消毒のための通院でした。自宅から車で1時間20~30分かかるところに病院は位置しています。検査手術、4日後のことです。夕方、消毒を終えて家にたどり着いたとたん、電話の呼び出し音。 「もしもし・・・」 それは、帰ってきたばかりの病院からでした。初診の時の医師とは別の外科医から「検査結果が出ましたので、明日、午前中に病院の方へお願いします。Y医師より説明があります」 「え?・・・一人で聞ける内容でしょうか・・・」 「ご家族とごいっしょできるのでしたら・・・そのほうが・・・」 受話器を握りしめながら、目の前の壁が迫ってきたような錯覚を一瞬味わいました。 夫の職場にすぐ電話、電話の向こうの夫は冷静でした。 7月15日(告知の日) 病院までの車の中で、わたしはひたすら、「良性でした」という医師の説明に夫とホッとしている光景をイメージしていました。心配してくれている友人達にも、笑って報告できると・・・ 受付を済ますと、外来に沢山人がいたにもかかわらず、すぐに呼ばれました。初診の時のY医師です。 「ご主人、来てる? いっしょに入って貰ってください」 「良い話と、悪い話があります。」静かな口調でY医師は話し始めました。 「まず、良い方・・・きわめて早期のがんがみつかりました。手術で、ほぼ治る可能性が高い。術後の治療もないかもしれません。病名は非浸潤性乳管がん」 「そして、悪い方・・・腫瘤部が乳頭に近いので、全摘です」 気がついたときには、夫とY医師が入院日と手術日について話していました。すでに、病院のほうでは、手術日を押さえてくれていたようでした。 かろうじて、「リンパ節は取らないのですか?」と聞くのがやっとでした。「この段階で取ることは考えていません」 もう、先生を信頼してお任せするしかありません。 夫と2人で「よろしくお願いします」と深々と頭を下げて、その後、入院のための説明を受けて、血液検査・心電図・胸部レントゲン検査を終えて病院をあとにしました。 始めにきわめて早期のがん、と言われたことで、私自身かなり落ち着いて、その後の説明を聞いていたはずでした。先生の言葉、看護師さんの説明・・・ なのに、・・・手術日も入院準備のことも、夫に聞かないとまったくわかってはいませんでした。 自宅に戻り「非浸潤性乳管がん」を調べて確かに早期のがんであることがわかり、冷静になれました。 入院が決まったことで、やらなければいけないことが山ほどあるのに、その日はまったく身体が動きません。家のこと、アルバイト先、両親への報告・・・ とりあえずはMちゃんへ電話、私以上にうろたえていて、そんな友人がいてくれることがとても心強く、有り難いと思いました。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 医師の「悪い話」については、その時点で、私の中で「切除する事で治るのなら」と言う気持ちが強かったので、万が一を残さない為にもリンパ節もとって欲しいとさえ言ったぐらいでした。そんなことで、「悪い話」はどうって事ない、と思えたのも、随分と気持ちが楽になりました。 心配させていた友人達、そして両親への説明は、「がん」であったこと、迷惑を掛けること、だけど、初期のがんなので、心配いらないと言うことを、努めて明るく説明したけれども、聞かされた人たちは、それでも深刻だったり、ドンヨリと重い空気が立ちこめたり、それだけ「がん」という言葉にイメージするものの重大性を感じました。 安心を確認するためだった初診から、わずか17日目には手術台でした。 入院する前に、親しい友人には「がん退治に行ってくるね!」と何とか、強い気持ちで臨んだ手術でした。 次へ |