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カテゴリ:スポーツ
ソチパラリンピックが始まりましたね。
いつの間にか始まっていましたね。 オリンピックのときは「いつの間にか始まっていた」 なんてことはなかったのに、どういうことでしょうか。 この時点で、オリンピックとパラリンピックの間に溝を感じます。 いつの間にか競技が始まっていて いつの間にかメダルを取っていて オリンピックではなかったようなことが パラリンピックではよくあります。 私は、障害者だろうが健常者だろうが 同じレギュレーションで同じように 同じ空間でやればいいと思っています。 どうしてわざわざ大会を2つに分けて溝を作るのか。 別にいいじゃん一緒でも。同じ人間だろう。 私には、大会を二分すること自体が差別行為にしか思えないし そういう考え方の存在こそが正に差別で 差別という言葉の存在自体が諸悪の根源だとすら思っています。 同じレギュレーション・同じ空間で戦うことに意味があって 結果はどうでもいいのです。 健常者が有利でも、障害者が有利でも そんなことはどうでもいいのです。 なのにそうはならず オリンピックとパラリンピックという 別々の競技として開催されてしまう。 これは差別云々以前に、…あぁまたこれか。 金の問題が関わって来るので仕方のないことかも知れません。 ここでも関わって来る大きな問題― スポーツは、競技である以前にビジネスである、ということ。 この認識があるせいで、どうも最近はスポーツが見れません。 感動や情けすらも金に変える。それがビジネス。 分かってはいるけれど、納得は出来ません。 納得が出来ないから、スポーツが見れない。 純粋に、スポーツを楽しみたいけれど どうしてもそれが出来なくなってしまいました。 他ならぬ、オリンピックというスポーツの祭典のせいで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.03.11 00:01:11
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