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……や、やっと読み終わった パルチヴァール改訂面白かった~、でも伏線多すぎて、話の流れを知らない1回目は頭がこんがらがってよろけてしまいましたよ。 2回目はすんなり読めたけど。 元々、横文字名詞を覚えるのが非常に苦手で、高校のときに世界史を選択するのを辞めたくらいなので、もー、ヨーロッパ文学とか歴史は鬼門っつーかなんつーか…。 いやはや、でもまぁ読破できて良かったわん グラアル(「聖杯」と訳されているモノ)についてはいろいろ研究対象にもなっているみたいですが、べつに私にとってはどうでも良いので置いておいて 前半のお馬鹿なパルチヴァールが遍歴するうちに、とんでもなく素敵なお方になっていく成長っぷりが素敵。 てか、こんなお馬鹿が良くもまぁ…って言うか……。 コンドヴィーラームールス(ペルラペイレという国の女王様)が、前半のお馬鹿丸出しのパルチヴァールと良くもまぁ結婚したわねってくらい。 お馬鹿パルチヴァールに比して、完成された世俗の騎士として登場するのがガーヴァーン。 格好良かったな~~~。 婦人奉公されたら左団扇で「おっほっほ」とか言いたいくらいの格好良さでしたわ あくまでもガーヴァーンは「世俗の」騎士で、聖杯に仕えることができる人ではないので聖杯の奇蹟に閲することはできないのですが、もっと後期に書かれたの聖杯物語群(ランスロットの息子のガラハッドや、ガーヴァーンの弟のボースとかが出てくるような話)に比べれば、『成敗の奇蹟に閲することはできませんでしたが、それが』って感じで悲壮感とか無くて、良かったかなぁと。 後期の聖杯物語群は何つーか…最後、パルチヴァールもガラハッドも童貞のまま死んじゃって、1回だけ婦人奉公して子供がいるボースだけがアーサー王の円卓に戻ってきて、事の顛末を報告、っていう救いも何もない話だからな~。 (作者的には婦人奉公もせず、神への至上なる奉公で天に召されてなんて幸せ者め、って話にしたのは分かるのよ) クレティアン・ド・トロワの「ペルスヴァル、または聖杯の物語」では、パルジファル(=パルチヴァール)はブランシュフルール(=コンドヴィーラームールス)と知り合うんだけど正式に夫婦になる前に放浪の旅に出るらしいんですが。 この話は未完なので、ラストがどうなるか分からないんだけど、聖杯の神話に拠れば「ラストでペルスヴァルは成長し聖杯の奇蹟に閲することができた後、ブランシュフルールと結婚するだろう」ってことなので、やはりこう、結婚して夫婦が補い合う関係がベストってクレティアンもヴォルフラムもそう結論づけたかったなんじゃないかなぁと思ってやまない。 もともと、この聖杯物語群にはそういう根底があったんなじゃいかなーって。 後期のはカトリック教会の影響を受けまくりですから なんで苦労して成長してやっと聖杯を観ることができたぜイェーイと思ったら、その見返りが天に召される…なんじゃぁあ そんな成長なら要らない キリスト教的には魂は永遠なので、教義としても話がそういう方向に行くのも致し方なかったのかもしれないんですが、なんだかねぇって。 それは私がキリスト教徒ではないからなのか、後期の聖杯物語群では一貫して『不浄の存在』とされる女性だからなのかは分かりませんが。 まぁ、そんな考察はさておいても、面白い話でしたので、興味がある方はぜひ~。 ちなみに、世間一般で言われるようないわゆる「アーサー王もの」の知識は全然なくても大丈夫な内容です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 13, 2007 06:35:40 PM
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