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法律なんて怖くない!

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憲法

2005年04月06日
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カテゴリ:憲法

憲法判例編 第13章 表現の内容ではなく、手段を規制する場合

国が表現の内容を規制するのは思想統制に繋がりますから、表現内容の規制は原則禁止であり、他人を害するような表現で無い限り自由に発表できます。

しかし、内容は普通でも手段が不適当な場合があります。
例えば、いかに崇高な理念を表現する場合でも、そこらじゅうに立て看板や張り紙を貼られては迷惑です。
なので、内容を規制するのではなく、表現手段を規制する必要性もあります。
ただ、あまり過度に規制すると、実質的には思想統制と変わらないのでほどほどの規制が妥当と言うことになります。

判例(最判昭和45年6月17日・最判昭和62年3月3日)は、以下のように示しました。
「表現の自由に対し許される必要かつ合理的な制限であって、・・・憲法21条1項に反するものではない」

つまり、手段を規制する場合はその規制に必要性があって、必要性を満たすための規制として合理性があれば許されると言うわけです。
つまり、不適当な手段として規制されたら別の表現手段を使って表現してねってことなのです。

さて、そういえば市民運動家が反戦思想を書いたビラを自衛官の官舎に入れたとして逮捕起訴されたものの、無罪になると言う事件がありました。
これも、あくまでビラまきという手段の是非が問題になるのであって、別に市民運動家達の思想の是非などは問われていません。
裁判所も、「商業ビラまきは黙認されているのに、思想的なビラだけ処罰する理由は無い」と言った考え方でありました。
別に、運動家達の思想の是非は判断されていませんからご注意ください。





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最終更新日  2005年04月06日 00時50分36秒


2005年04月02日
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第12章 判例が文言解釈としての意義をもつ場合

ちょっと今日は趣向を変えて、判例が文言をどのように解釈したかを
ご覧頂こうと思います。
文言解釈だけの場合は、あまり背景事情をお伝えする必要は無いので、
テンポが良くなるかもしれません。ちょっとお付き合いください。

まずよくわいせつ物頒布罪とかありますが、そもそも「わいせつ」とは何でしょう。
わいせつ文書を頒布するとわいせつ物頒布罪となりますが、何がわいせつ文書かはわかりません。
そこで、判例(最判昭和32年3月13年)は、わいせつ文書を、
「普通人の羞恥心を害することと性欲の興奮、刺激を来たす事と善良な性的道義観念に反する文書であること」

としました。

次にプライバシー侵害とは何でしょう。およそ個人の情報を公開するとプライバシー侵害となるような気もしますが、そうすると、表現の自由を害する場合もあるので一定限度まではプライバシー侵害とはいえません。プライバシー侵害となる境界線を判例(東京地判
昭和39年9月28日)は示しました。
「1、私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られる恐れのある事柄
 2、一般人の感受性を基準にして当該私人の立場にたった場合、公開を欲しないであろうと認められる事柄であること。換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的負担、不安を覚えるであろうと認められる事柄であること。
3、一般の人々にいまだ知られていない事柄であること」


次に、出版物を事前差止めできる場合とはどんな場合でしょう。
田中真紀子氏事件では問題になりましたよね。
事前差止めは表現の自由に対する重大な侵害なので限定しなければなりません。
そこで、判例(最判昭和61年6月11日)は以下の場合に限り事前差止めを認めています。

「1、表現内容が真実でなく
又はそれが(真実であっても)専ら公益を図る目的のものでないことが明らかであって
2、かつ被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがあるとき」

最後に、「検閲」とは何でしょう。
検閲はよく耳にする言葉ですが、実体は明らかではありません。
検閲自体は禁止されていることが明らかですが、その意味が明らかにならないと
禁止した意味がありません。
そこで、判例(最判昭和50年12月12日)は検閲を以下のように定義しました。
「行政権が主体となって、思想内容などの表現物を対象とし、その全部または一部の発表禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認める物の発表を禁止すること」

従って、裁判所による差止め命令は検閲とはなりません。ご注意ください。

さて、いかがでしたか。判例はこのように文言解釈の指針として役立つこともあるのです。







最終更新日  2005年04月02日 08時20分16秒
2005年03月31日
テーマ:法律(465)
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第11章 3政教分離について・その3

政教分離の事件で、変わった事件があります。
(最判平成8年3月8日)
原告も被告も互いに政教分離違反を理由にしたのです。
何のこっちゃとお考えでしょう。以下のような事件だったのです。

ある公立の高専生がいましたが、エホバの証人という武道全般を禁じている宗教の信者だったため武道の時の体育は全欠席扱いとなり、結果体育の単位がとれず、留年を繰り返し、ついには退学処分となってしまいました。

これに対して、高専生は武道の代替手段を認めずに留年させたことはエホバの証人の信者であることを理由とした宗教弾圧であり、政教分離違反であるとして、高専を訴えました。
逆に高専の校長は、もし代替手段を認めればエホバの証人の信者を特別扱いしたことになり、却って政教分離に反してしまうから代替手段を認めないのは当然であると主張しました。

さて、双方とも政教分離を主張したこの事件はどうなったのでしょうか。
双方の主張を検討しましょう。
目的が宗教的意義を持ち、その効果として宗教に対する援助・助長、または圧迫干渉になるような行為の場合には政教分離違反となるのでしたね。
まず、高専の校長の主張から見ていきましょう。
エホバの証人に代替手段を認めることは政教分離違反でしょうか。
エホバの証人は武道のみを禁じただけですから、他の体育の行為は出来るわけです。
例えば、皆が剣道をやっている時に、剣道の代わりとしてグラウンドを走らせることは政教分離違反となるのでしょうか。
まず目的としては、単位を認めてあげるためのやむない措置ですから、宗教的意義は何らありません。
また、皆が剣道をやっている時にグラウンドを走らせるのはエホバの証人の信者を優遇したわけでもないし、冷遇したわけでもありませんから、効果として宗教に対する援助・助長、圧迫・干渉にはなりません。
よって、高専の校長の言う政教分離違反の主張は誤りと言うことになります。

では、高専生の言うように、代替措置を認めないことが政教分離違反とまでいえるでしょうか。
宗教上の理由で代替措置を求めているのに、代替措置を認めないと言うことは、その宗教の教えを認めないことになり、目的として宗教的意義を持ちます。
そして、その結果として高専を退学させるというのは宗教を信じたことに対する著しい不利益であり、エホバの証人を圧迫したことになります。

ここまででお分かりの通り、高専の校長の行為は違憲とされ、退学は撤回されました。

ちなみに、この高専生は真摯な宗教心を持っていたから認められたのです。
例えば、数学が嫌いだからと言って、ある日突然「自分は数学をしてはならない宗教に参加した。よって数学に代わる手段を自分に用意してくれ」と言っても、それは通りません。勘違いしないで下さいね。
ちなみに、この高専生は剣道の時間中ずっと正座で見学をし、見学レポートを毎時間提出していたそうです。そこまでの宗教心があるからこそ、高専生の主張が認められたのかも知れません。





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最終更新日  2005年03月31日 01時41分41秒
2005年03月29日
テーマ:法律(465)
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第11章 2政教分離について・その2

前回の続きです。
目的が宗教的意義を持ち、その効果として宗教に対する援助・助長、または圧迫干渉になるような行為の場合には政教分離違反となるのでしたね。

では、公共機関が公費を使って忠魂碑を移転したらどうなるでしょうか。
忠魂碑とは耳慣れない言葉ですが慰霊碑と考えていただいていいでしょう。
何らかの形で霊を慰めるものは宗教心の表れですから、政教分離違反になるのではないかが問題となります。

判例(最判平成5年2月16日)は政教分離違反で無いとしました。
というのも慰霊碑というのは記念碑的な意味合いを持つことが多く、慰霊碑とほぼ同様の
忠魂碑も記念碑的な意味を持つと見ていいでしょう。
つまり、目的として宗教的意義は乏しいと見ていいでしょう。
また、忠魂碑にお金をかけたとしてもそれが神道にお金を出したとか、仏教にお金を出したと見る人は少ないでしょう。
忠魂碑を造った石業者にお金を出したと見る人の方が多いはずです。
従って、宗教に対する援助・助長にはなりづらいのです。
そういう理由で、判例は政教分離違反でないとしたのです。

では、公共機関が玉串料を提供したらどうなるのでしょうか。
判例(最判平成9年4月2日)は、政教分離違反としました。
そうです。数少ない違憲判決です。
それにしても、そもそも、玉串料ってなんでしょうね?
玉串料が何であるかを知っている人は少ないと思います。
はっきり言って、私も知りません。
つまり、玉串料は地鎮祭とは違って、何か宗教的なものではないかと考えられてしまいます。
多くの人が知らないと言うことは、習慣とは言い難いからです。
よって目的として宗教的意義があると言えます。
そうして、そんな玉串料と言う得体の知れない物を渡すと言うことは、宗教を援助・助長するといえます。
なので、判例は違憲としたのです。

さて、皆さんに課題です。
小泉総理の靖国参拝はどうでしょうか。
まずよく言われている「私人参拝」「公人参拝」と言う区別は法的には意味がありません。私人参拝だから合憲、公人参拝だから違憲とはなりません。

この判決を見る限り、形式的な「私人参拝」「公人参拝」の区別も法的意味を有するようです。
個人的には、このような形式的な区別は法的判断に入れるべきではないと考えますが、高裁判決が言う以上この考えを皆さんにお伝えすることは不適当といえます。よって撤回いたします。


内閣総理大臣という肩書きを持った人物が参拝することおよび、公費を納めるか否かが問題なのです。
靖国参拝の目的に宗教的意義があり、特定の宗教に対する圧迫干渉になれば違憲ということになります。

皆さんも何気なく神社に参拝することはありますから、それと同じだと考えれば目的に宗教的意義はありませんから合憲となります。
しかし、小泉首相の参拝は一般人の参拝とは違って宗教的意義があると考えれば目的に宗教的意義があることになります。
また、小泉首相が参拝することによって神道ないしは靖国神社と言う宗教団体を援助したことになるか、他の宗教団体に圧力を加えたと感じれば、宗教を援助または圧迫する効果ありということになり、別に宗教に対する効果はほとんど無いんじゃないかと考えれば効果なしとなり、合憲となります。

このような考察も加えず、単に「首相が神社に行けば違憲だー」とわめくのは全く説得力の無い発言です。
マスコミに惑わされず、ご自分で判断なさってください。





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最終更新日  2005年03月29日 08時38分17秒
2005年03月24日
テーマ:法律(465)
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第11章 政教分離について

時々問題になるのが政教分離です。
宗教分離は憲法20条3項で定められています。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


文字をそのまま解釈すると、政治と宗教は分離しなくてはならないと言うことです。
しかし、日本では、生活習慣の中にも宗教が入り込んでおり、政治と宗教を完全に分離すると却って不都合が起こります。
前にも書きましたが、クリスマス会を日本の学校で禁止しなくてはいけないのでしょうか。食事の前には「いただきます」というのは仏教の教えに通じるからと言って、食事の前に「いただきます」を教えるのは宗教分離違反でしょうか。
また、習慣でなくても、お寺が燃えた場合「政教分離だから」と言う理由で消防署の出動は禁じられるのでしょうか。

ということで、ある限度までは政治と宗教が混ざっていてもやむを得ないと考えるべきでしょう。
判例は一貫して次のような基準で判断しています。
目的が宗教的意義を持ち、その効果として宗教に対する援助・助長、または圧迫干渉になるような行為の場合には政教分離違反となる。


では、判例上問題になった事件についてお話します。
まず、地鎮祭を公共機関が行った場合はどうでしょうか。
地鎮祭とは、ある建物建築に着工する前に、土地に祭壇を設け、神主さんにお払いしてもらう儀式です。
これは、政教分離違反でしょうか。
判例(昭和52年7月13日)は政教分離違反でないとしました。
というのも、いまや地鎮祭は別に神道だからやると言うわけではなく、工事の無事を祈る儀式の意味しかありません。
つまり、目的に宗教的意義はありません。
効果としてもどうでしょうか。例えば地鎮祭をやる人をみると、「あ、あの人は神道の協力者なんだ」とか思う人がいるでしょうか。
ほとんどいませんね。ですから宗教に対する援助・助長にはならないと考えられます。
なので、判例も政教分離違反ではないとしたのでしょう。

今日はここまでにしましょう。







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最終更新日  2005年03月24日 00時40分36秒
2005年03月22日
テーマ:法律(465)
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第10章 内申書と思想良心の自由

高校受験するときには内申書と言う物を受験校に提出することは皆さんご存知かと思います。
ある中学生は、かつての学園紛争張りにビラ撒きをしたり、機関紙を発行したりしました。当然、内申書にはその旨が書かれ、その中学生は受験した全ての高校に落ちてしまいました。
これに対し、内申書にそのような行為を書いたのは思想を不当に外部に公開する行為として、憲法19条違反として国家賠償を求めました。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


これに対し、判例(最判昭和63年7月15日)は以下のように示しました。
「内申書記載は、上告人の思想信条そのものを記載した物でないことは明らかであり、右の記載にかかる外部的行為によっては上告人の思想・信条を了知しうるものではないし、また上告人の思想信条自体を高等学校の入学者選抜資料に供したものとは到底解することが出来ないから、・・・違憲の主張は・・・採用できない」

早い話、内申書に書いてあることが事実であれば思想の自由に反するわけではないと言うことです。
ものすごく当たり前だと思うんですが、一体何故この判例が学問上重要とされているのかがよくわかりません。








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最終更新日  2005年03月22日 00時26分48秒
2005年03月18日
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第9章 3違憲判決について・その3

さてさて、違憲判決シリーズです。
今までは、目的が裁判官の判断になじむ物だからと言う理由で違憲判断がなされてきました。
今回は、目的は専門的なのに、手段が不合理だからと言う理由で違憲判決が出た事件を
御紹介します。
それは、森林法事件です(最判昭和62年4月22日)。
ある兄弟が親から受け継いだ森林を分割しようとしたところ、森林法で禁止されている
事を知りました。それを不服とした兄弟は憲法29条一項の財産権違反として訴えたのです。判例は以下のように判断しました。
「森林法・・・の立法目的は、森林の細分化を防止する事によって森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もって国民経済の発展に資する事である。右立法目的は。公共の福祉に合致しないことが明らかであるとはいえない。
しかし、森林法・・・は、共有者間の紛争に際しては森林荒廃の事態を永続化させてしまうという欠点がある。・・・そして、価格賠償(引用者注・ある一人に森林を全て与える代わりに他の物には金銭を支払う方法)など・・・合理的な分割が可能であり、・・・直ちに細分化をきたす物とはいえない」

目的だけ見ると、森林の保護ですからどのように森林を保護すべきかは森林のプロに任せるべきであり、裁判官は判断しづらい事件のようにも思えます。
しかし、そもそも、森林の分割を禁じると誰が森林を管理するかで争いになり、結局誰も管理しないという事態を招き、かえって森林が荒廃してしまうのです。
このように、目的が手段とかみ合っていません。
このように、目的と手段がかみ合っているかどうかは森林のプロでなくてもわかります。
そこで、裁判官が判断をして違憲判決が出たのです。

これ以外にもまだ違憲判決はありますが、違憲判決シリーズはここで一旦終わらせましょう。







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最終更新日  2005年03月18日 00時05分10秒
2005年03月16日
テーマ:法律(465)
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第9章 2違憲判決について・その2

次に、一見専門的な事件なのに違憲判決を出した事件があります。
それが、薬事法事件(最判昭和50年4月30日)です。

もともと、薬事法では、薬局開設には許可が必要であり、
新たに薬局を開設する場合半径100メートル以内に既存の薬局が無いことが許可の条件とされていました。
その理由は、薬局が過当競争しはじめると、品質保持期限が切れ掛かったような危ない薬でも売り始めてしまい、ひいては国民の健康を害するからと言う理由でした。

これを不服としたある薬剤師さんが
薬事法は職業選択の自由を侵害する物であり、違憲だとして訴えました。
これに対して判例は以下のように判断しました。
「許可制は、・・・職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定するためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、・・・自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的規制である場合には許可制に比べて職業の自由に対するより緩やかな制限である・・・規制によっては右の目的を十分に達成することが出来ないと認められることを要する」

つまり、目的として重要な利益保護目的があり、手段としては他の制限では達成できない場合でなければ違憲であるとしたのです。
そして、本件では、危ない薬を売ることを防止すると言う目的は重要であるが、手段としては距離制限でなくても他の手段で達成できるはずと言うことで違憲となりました。

一見、どぶろく裁判と同じように専門的な判断が要するのに何で裁判所が違憲判断をしているのかとお考えでしょう。
実は問題となった法律の目的が問題なのです。
どぶろく裁判では、酒税徴収という専門的なものが目的でした。
しかし、薬事法事件では危ない薬を売る恐れを防止する物です。
この違いは、証拠さえ示せば裁判官が判断できるかどうかの違いです。
例えば、証拠を示せば危ない薬を売る恐れがあるかどうか、他の手段で危ない薬を売る
事は防止できないかは裁判官でも判断できます。しかしどのように酒税を徴収すべきかは
いくら証拠を示されても税のプロではない裁判官に判断できません。
この違いです。
そして、裁判官が判断できるなら違憲判決をしてもいいので、薬事法では違憲判決が出たのです。

また目的が専門的でも、採っている手段自体が不合理だからと言う理由で違憲判決が出た事件があります。それについては次回にしましょう。







最終更新日  2005年03月16日 00時34分52秒
2005年03月14日
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第9章 1違憲判決について・その1

さて、前回で裁判所が違憲判決をするのは稀なことだと言うイメージを
もたれたでしょう。実際、違憲判決は非常に稀です。
その稀な事件についてお話します。

まずは「尊属殺重罰規定違憲判決」という事件です。
(最判昭和48年4月4日)
尊属とは家族関係で目上とされる人のことです。
例えば、親や、祖父母、おじおばを指します。
かつて、刑法では尊属を殺害することは絶対に許されないこととして、通常の殺人罪より厳しく処罰してきました。
すなわち、通常の殺人では最低刑が懲役3年のところ、尊属殺人では最低刑が無期懲役でした。
これだけ聞くと、確かに親殺しはひどいから刑が重いのもやむを得ないとお考えの方もおられるでしょう。
しかし、問題となった事件はそう単純ではありません。

被告人は、中学2年の時実父に姦淫され、子供も出来、10年以上夫婦同然の生活を強いられてきました。しかし、職場で正常な結婚の機会に恵まれたものの、実父は被告人を10日間に渡って脅迫虐待を繰り返しました。
そのため、被告人は疲労困憊し実父を殺害してしまったのです。

どうでしょうか。単に親殺しとは断じられない事件だと思います。
そこで、判例はこう判断しました。( )内は引用者注
「尊属に対する尊重報恩(という目的)は・・・刑法上の保護に値する。
しかし、加重の程度が極端であって、・・・立法目的達成のため必要な限度をはるかに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効である」

つまり、親殺しはいけないという趣旨は理解できるが、それを踏まえても最低刑が無期懲役というのは重過ぎるから違憲だとしたのです。

このように、刑の軽重という裁判所の判断が可能な物に対しては違憲判決を出しやすいのです。

しかし、一見専門的なものでも違憲判決を出した事件があります。
それは次回にしましょう。






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最終更新日  2005年03月14日 00時19分23秒
2005年03月12日
カテゴリ:憲法


憲法判例編 第8章 どぶろく裁判について

法律の勉強をしていない方でも、「どぶろく裁判」という言葉を
聞いたことがある方はおられると思います。
今日はそれについてお話しましょう。
日本の法律では、酒税法などでお酒を造ることを禁じています。
確かに、税収の関係上自分で造って売ってはいけないというのは感覚的に受け入れやすいのですが、たとえ自分で飲む分を造っても処罰されます。
なので、ある人が、「自分で飲む分の酒ぐらい自由に造らせないのは憲法13条に定める幸福追求権侵害だ」として国を訴えたのです。

いろいろ話題になりましたが、判例(最判平成元年12月14日)はあっさりと判断しました。
「酒税法の規定は・・・立法府の裁量権を逸脱し、著しく不合理であることが明白であるとは言えず、憲法13条に違反する物ではない」

つまり、著しく不合理で無ければ違反じゃないよと言ったのです。
なぜ、こんなにあっさりと判断したのでしょうか。

そもそも考えていただきたいのは、法律を違憲にするということは、主権者たる国民の代表である国会の意思を反故にするということです。
つまり、主権者の意思を踏みにじるわけです。
それに引き換え、裁判官は別に国民の代表からなるわけでは有りません。
従って、裁判所は出来る限り法律を尊重するべきだと考えられます。
そうは言っても、変な法律が出来たらどうするんだとお考えでしょう。
その場合は、そんな変な法律を作った議員を今度議員にしなければいいのです。
つまり、変な法律を作ったら原則として選挙で何とかすればいいのです。
これを「民主政の過程で是正する」と表現します。つまり、変な法律は民主政の過程で是正すればよいのです。
また、専門的な判断を要する事柄については、裁判官は不案内なことが多いです。
そこで、専門的な判断を要する事柄については裁判官はあまり手を出さない方が良いとされます。

そして、本件では単に税法上の問題ですから民主政の過程で是正できますし、税の徴収方法は大変専門的な判断が必要とされます。
なので、著しく不合理でない限り裁判所は違憲判断をしない方が良いとされるのです。

裁判所と言うと最後の手段と言うイメージがありますが、権力の一つにすぎず、何でもできるわけではありません。原則としては変な法律は国会で修正すべきと言う考えですから、選挙権の行使がいかに重要なことなのかお分かりいただけると思います。

ちなみに、「サラリーマン税金訴訟」と言うのがありました。
これは、サラリーマンは源泉徴収されることが他の業種に比べて不平等で、憲法14条1項はないかとされた物です。
しかし、もう御想像の通り、税金徴収方法と言う専門的で民主政の過程で是正されるもの
ですから「著しく不合理であることが明らかでない限り・・・憲法14条1項の規定に違反する物ではない(最判昭和60年3月27日)」とされました。

他にも、「著しく不合理であることが明らかでない限り」という言葉で合憲判決となった事件は結構あります。
小売市場事件(最判昭和47年11月22日)
酒類販売免許制事件(最判平成4年7月15日)

裁判所も万能ではないのです。
さて、次回は裁判所が違憲判断をした事件についてお話しましょう。





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最終更新日  2005年03月12日 09時28分47秒
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