マックス爺のエッセイ風日記

2008/11/23(日)19:44

筑波山から富士山を仰ぐ(1)

生活雑記(1036)

<歴史を学ぶ旅>  リュックに入れたのは東北大学文学部教授の熊谷公男氏が書いた2冊の本と洗面具。2冊とも古代東北に住んだ蝦夷(えみし)と古代の朝廷が東北に築いた城柵との関係について記したもの。1冊目はリブレットと言っていわばダイジェスト版のようなもので100ページの薄いものだ。だが専門書だけにそれでも手こずっていた。これは残りが少なかったので仙台駅に向かうバスの中で読み終えた。  古代東北に住んだ蝦夷とそれを朝廷側が取り込みながら支配地を拡大して行く過程が、この本を読んで良く理解できた。もう一冊の方は途中で読むのを一旦中断し、先ずリブレット版を読むことに方針変更したのだ。それだけ難解だったからだが、これで厚い方の本を何とか読了しようと言うファイトが湧いて来た。  仙台駅でスポーツ新聞、「ホタテまるごと弁当」、お茶を買い、東北新幹線に乗り込む。3連休のせいか指定席もほとんど満員状態だった。前夜は遅くまでテレビで「三丁目の夕日」続編を観ていた。旅路の座席でスポーツ新聞を読むことでその疲れも癒されるが、続いて専門書に立ち向かうだけの元気はまだない。  座席の目の前にある「トランヴェール」と言うPR誌を手に取ると「晩秋の信州、「塩の道」千国街道を歩く」の文字が表紙にあった。これは面白そうと読み出す。糸魚川から姫川沿いに信州まで続く塩の道。海に面してない信州では古来から塩の入手に苦労したことが分かる。歴史、文化、地理など興味が尽きない。  その中に気になる話があった。糸魚川を治めた奴奈川姫命は出雲の大国主命と結婚し、生まれた子が諏訪神社の祭神である建御名方命の由。この神が塩の道を辿って信濃国に入り、諏訪湖畔に着座したと伝えられているようだ。海洋民族と言われる大国主命は遠く北陸にも遠征しているのだが、何故その子が内陸の諏訪に入ったのかと言う謎が解けた思いがした。  実は出雲国風土記には、大国主命が国譲りをした時に、反対した息子の一人が信州に逃げたという記述がある。恐らく古代の出雲王国はヤマトと吉備王国の連合軍に敗れたと言うのが真実の姿だったのだろう。かねがね私は諏訪神社の祭神や祭礼について関心を持っていたのだが、今回のことで少し理解が深まった。神話にも真実の一端が隠されていることがある。  さて、仙台駅で買った「ホタテまるごと弁当」は、つくばエクスプレスの車中で食べた。質、量ともに大満足で、とても美味しかった。あれで700円は安い買い物だ。終点のつくば駅で降り、幹事のT村さんが電話で教えてくれた3番出口から地上へ出る。確かバスターミナルの一角で1時半から2時までの間に待ち合わせる手はずだったがのだが30分間経っても彼の姿は見えない。その間、黒人の方に成田空港行きの乗り場を聞かれた。さて困った。<続く>

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る