マックス爺のエッセイ風日記

2010/07/23(金)16:39

ニガイキノコ(3)

生活雑記(1036)

< 我が家の毒見役 >  少し前にも同じようなことがあった。法事で出た弁当を持ち帰った翌日、妻の姉から電話があった。下痢したので天ぷらは食べない方が良いと言う内容の緊急連絡だった。妻は怖れをなして手をつけなかったが、私は全く気にせず天ぷらを食べた。勿論何の異常も生じなかった。今回も同様に、妻が敬遠したキノコを私は食べた。キノコ博士が太鼓判を押したのだもの、何を恐れる必要があるのか。  キノコは少し苦かった。ふ~ん、これが自分が取って来たキノコの味か。初めて食べたが、決して悪い気はしない。独特の苦みはマツオウジの特徴なのだ。勿論体調に何の異常も生じない。順序が逆かも知れないが、私はインターネットでマツオウジのことを調べた。  初夏から夏場にかけて生えること。シイタケの仲間であること。松の切り株に密生すること。弱い毒性があるが、加熱すると毒性が消えること。少し苦みがあることなどが分かった。漢字で「松旺子」と書くのは、松の切り株に旺盛に生える特性からのようだ。さすがはキノコ博士。特徴が完全に一致している。するとあの正体不明の腐った切り株は、松の木だったわけだ。  その夜のこと、夕食にキノコの炒めものが出た。残していた大きなマツオウジがそれに混じっていることが直ぐに分かった。あの独特の苦みがあったからだ。ネットで調べたマツオウジのことを妻に教えると、彼女は直ぐに納得した。マツオウジだけでは足らないので、エリンギを足して炒めたそうだ。だが料理中に味見し、何故苦いのか理由が分からなかったそうだ。  毒性と苦みの話を聞いた途端、妻はマツオウジだけを選り分けて私の皿に移した。食わず嫌いの妻は、普通と違うものは絶対に食べない主義。恐らく初め見たキノコを今回料理に使ったのは、朝にキノコ入りの味噌汁を食べた私がピンピンしていたからだと思う。我が家では、冷蔵庫の中の古くなった食べ物がまだ食べられるかどうか判断するのは私。初めてお目にかかったキノコの毒見は、こうして無事に終了した。  不思議な山小屋の主のキノコ博士は、普段から良く山の中を歩いているそうだ。先日フラフラになりながら私が走って帰ったコースの途中に、馬越石トンネルがある。青葉区折立から太白区茂庭方面に抜ける県道31号線の峠部分にある、長さが100mほどの小さなトンネルだ。キノコ博士は山道を通って、何とあのトンネルの上に出るらしい。    一瞬耳を疑ったが、あの小さなトンネルの上にも山道があって、蕃山(ばんざん)まで続いているそうだ。その山には大梅寺(だいばいじ)と言う古刹がある。伊達政宗の招きで松島にある瑞巌寺の住職になった雲居(うんご)禅師が、政宗の死後瑞巌寺から移り住んだのがこの山寺。たまに寺を訪れるものと言えば、猿か熊だと彼の漢詩に詠われているほどの寂しい所だ。  先日の30km走の途中にその山麓で休んでいた時のこと、1人の外人が地図を手に近づき、ここから蕃山に登れるか私に尋ねた。「もちろん登れますよ」と答えると、彼は喜び勇んで車中で待っていた妻を呼びに行った。こんな暑い日に、わざわざ辺鄙な山を訪れるとは何と不思議な外人だろう。本当のところ私はそう思っていた。  たまたま目にした1本のキノコから、世の中には不思議な人や他人とは価値観が異なる人がいることを再認識した私だった。だが、くそ暑い真夏の日中にヨロヨロ走っている私も他人から見れば、相当の変人に見えるのかも知れない。<完>

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