マックス爺のエッセイ風日記

2014/01/19(日)06:00

大崎八幡宮のどんと祭と裸参り(4)

生活雑記(1036)

≪ 神社編 2 ≫  神社編1、どんと祭編1、裸参り編1と続いて来たこのシリーズですが、今日からはいよいよ2クール目に入ります。    これは「長床」と呼ばれる建物で、本殿の手前にあります。国の重要文化財に指定されています。ここにたくさんのお神酒(おみき)が奉納されていました。  近づいて屋根の方を見上げた所です。風雨に曝された扁額の字が不明瞭ですが、大崎八幡宮と書かれているみたいですね。  こちらは「長床」の背面。帰りに写したものです。  こちらが御社殿(本殿)の正面です。仙台藩祖伊達政宗の命により慶長9年(1604年)から12年かけて建造し、元和2年(1616年)に完成したものです。桃山様式が顕著に残る我が国では希有な神社建築として、国宝に指定されています。  10年ほど前に補修工事が行われ、何年か前に工事が終了したところです。私は補修終了後の八幡宮を見ていませんでした。今回の参拝は補修が完成した姿を、自分の目で実際に確かめたかったこともありました。  神社編の1回目の時に、大崎氏が創建した神社を仙台に移したように書きましたが、八幡宮の社伝によれば平安初期奥州鎮守府将軍坂上田村麻呂が奥州鎮守府(胆沢城:現在の岩手県奥州市)に、宇佐神宮(現在の大分県宇佐市)の霊験あらたかな神を勧請した鎮守府八幡神社がその起源のようです。東北の蝦夷を征伐する際に、大きな神力が働いたのでしょう。  仙台藩は62万石でしたが、開発に開発を進めて実際の石高は100万石以上あったと言われています。その豊かな財力で、伊達家は岩手県平泉の中尊寺や奥州一宮である塩竃神社、竹駒稲荷などをはじめ領内の寺社を保護して、次々に補修を進めました。岩手県南部も仙台藩の所領だったのです。この大崎八幡宮のきらびやかな装飾にも、当時の豊かな藩政を偲ぶことが出来ますね。  これは本殿の向かって右側です。色鮮やかな彫刻が目に入ります。  本殿右側のアップです。実はこれまで私は大崎八幡宮の建物をじっくり観たことはありませんでした。今回写真を撮るために近づいて、初めてその豪華絢爛な姿を知った次第です。スペインとの通商を願って支倉常長をヨーロッパまで使わした政宗の偉大さが、ようやく分かったような気持ちです。  こちらは本殿の左側です。  同じく本殿の左側を見た所です。華やかさと荘厳さが混ざり合った独特の雰囲気で、国宝に指定された意味が良く分かります。  地の利が悪くて天下人にはなれず、東北の英雄で終わった伊達政宗ですが、彼の壮大な意図がこの大崎八幡宮にも表れているように感じた私です。明日の第5回は、<どんと祭編>の2回目です。どうぞお楽しみに~。<続く>

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