マックス爺のエッセイ風日記

2016/02/02(火)06:58

雪の松島を訪ねて(3)

写真(471)

<観瀾亭と松島博物館>  1月24日日曜日。私は電車に乗って松島へ行きました。前日は雪。これなら雪の松島が撮れそう。そう思ってのことです。松島海岸駅で降り、先ずは海岸や雪を被った島々を撮りました。(第1回)次に雪の五大堂を撮りました。(第2回)そこから15分ほど雪道を歩いて行ったのが観瀾亭です。ここには松島町立の小さな博物館も併設されています。     左が観瀾亭の入口です。右の階段を登って行きます。入場料は200円。これで博物館も観ることが出来ます。              何とも趣がある扁額(へんがく)ですねえ。  松島御仮屋御殿図   この建物は安土桃山時代の文禄年間に伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見城の一棟です。政宗は徳川の世になってから、これを江戸品川の藩邸に移築したのです。それを分解し、船でこの地まで移したのが二代藩主の忠宗。さらに五代藩主吉村によって「観瀾亭」と名付けられました。  藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれましたが、藩主やその家族の松島遊覧時、幕府巡検時の宿泊接待の場である「仮御殿」としても利用されたようです。現在では松島町の所有になっています。     建物は東西方向に向き、京間18畳2室からなり、四方に緑を巡らせた明快な構造です。柱間1間6尺5寸の京間であることや緩やかな屋根の特徴などから、桃山時代の建築であると考えられています。             手前の座敷。縁側で休憩が出来ます。              縁側には政宗の遺訓が置かれていました。        見事な襖絵のある奥の座敷は、遠くから望遠で影響の出ないよう撮影です。     阿吽の龍。ここからは裏の松島博物館の紹介です。この双龍は、仙台にある伊達政宗の霊廟瑞鳳殿の屋根を飾っていたものでしょう。空襲で霊廟が焼け落ちた時に、この龍を観瀾亭へ運んだものと思われます。瑞鳳殿の資料室にも同じ龍のレプリカがあります。              この水盤も元々は瑞鳳殿に奉納されたものです。戦災に遭った後、この観瀾亭に移された江戸時代の名品です。     松島屏風図です。江戸時代中期に上方で制作されたと思われます。松島湾内の島々が細かく描かれています。瑞巌寺の境内には、今では失われた幾つかの塔頭(たっちゅう=付属寺院)が描かれており、貴重な証です。        畳んだ「八幡旗」(左)と「亀岡八幡大神旗」(右)です。政宗は鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を仙台城下の亀岡に分祀し、戦勝の神として崇めたのです。         小室達作のレリーフ「政宗騎馬像」。これと同じ作品が青葉城天守台の巨大な政宗騎馬像の台座にはめ込まれています。                これは政宗直筆の書状。幼い時から学問に励んだ政宗の筆跡はいかにも雄渾ですね。        軍扇(左)と陣羽織(右)。陣羽織の九曜紋は伊達家の家紋の一つです。        徳川の家紋である「三つ葉葵」が入った印籠(左)と伊達家の甲冑(右)。               貝合わせです。伊達家の姫君達が遊んだものでしょうか。                          松島湾の西ケ浜貝塚から出土した大型の縄文土器です。焦げた痕跡があるので、製塩に使われたのかも知れません。この周辺には縄文時代の製塩遺跡が多数残っています。後に塩竃神社へ奉納される塩も、松島湾の内外で作られています。        雪の生垣です。ここから再び歩いて次の訪問地である瑞巌寺へと戻ります。観瀾亭と松島博物館で気になったのが、展示品の管理。ほとんど無人状態の中で貴重な文化財が置かれていたことに驚きました。盗難に遭わなければ良いのですが。<続く>

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