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マックス爺のエッセイ風日記

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2017.04.23
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カテゴリ:東日本大震災
<荒浜(深沼)の壊滅と鎮魂>

  

 朝9時家を出発し、東日本大震災の津波によって被害を受けた集落をマウンテンバイクで訪ねている。名取市閖上(ゆりあげ)から北上し、仙台市若林区の藤塚、井土浜を通過し、荒浜(深沼)までやって来た。これらの地区では助かった人もいるが、居住地はことごとく津波で破壊され、流されてしまった。かつての集落を知る身には、到底信じられない想いがする。その理由は簡単。人の姿が全く見えないからだ。


  

 荒浜小学校はあの時の津波で大きな被害を受け、仙台市によって「震災遺構第1号」に指定された。校舎内に侵入した瓦礫はその後除去され、今はその面影がない。しかし校舎内は破壊されたままだ。海に近くて極めて危険なことと、大きな震災被害で人口が急減したため、学校を維持するのが困難になった。校舎の壁には生徒たちが書いた「ありがとう荒浜小学校」の文字。もうここで学ぶことは不可能になってしまった。


  

 津波で流された屋敷跡。残った基礎部分も大きく破壊され、津波のエネルギーの大きさを思い知らされる。


  

 サイクリングロードの両側の防風林が、あの津波でこんなに疎らになってしまった。かつては鬱蒼とした松林が連なっていたのだ。それが新しい防波堤が見えるほどなぎ倒され、流されてしまったのだ。あの美しい景観が戻るまでに、一体後どれくらいの歳月を要するのだろう。


          

 これが防風林の残骸。津波に流されなかった松も、長い間海水に浸かったことで枯死し、根元から伐採されてしまったのだ。浜辺との境界に立つ、新防波堤の高さが実感出来よう。


               

 遠くからでも目に付く石像と塔がある。近寄って見ると「東日本大震災慰霊之塔」の文字。そしてその背後には新しくて立派な観音像が立っていた。


  

 荒浜(深沼)は、江戸時代から続く半農半漁の集落。仙台市内に勤務するサラリーマンなどは助かったが、地元で起居する住民の大半が津波の犠牲となった。目の前の浜辺から押し寄せた津波は、「貞山堀」で一段とパワーアップし、内陸へ3km近くも侵入した。ここは全くの沖積平野で、逃げるにも逃げる場所がないのだ。あの荒浜小学校の3階以上に逃げた人だけが助かったようだ。


        

 立像の銘を見たら「荒浜慈聖観音」と刻まれていた。「あらはまじしょうかんのん」とでも読むのだろうか。


  

 隣同士、仲良く暮らしていた荒浜の住民たち。荒浜小学校の運動会では集落を4つに分け、対抗させる競技種目があったそうだ。そんな行事を通じて、地区の親睦と連帯が強まって行ったのだろう。


     

 だが、かつての賑わいも笑い声も今は全く聞こえず、風の音が通り過ぎるだけ。慈聖観音は集落があった辺りを静かに見下ろしていた。


  

 撮影している私が主役になってしまったが、これは震災の犠牲者の碑銘。石がまだ新しく、その表面がピカピカしているために反射してしまったのだ。罰当たりで申し訳ありませんね。合掌。


     

 これはゴルゴタの丘に立つ十字架ではなく、深沼海水浴場の前に立つ慰霊の鐘。いや、裏面に廻って名前を確認したのだが、どこにも名前は刻まれてなかった。

  
      

 だから「慰霊の鐘」は便宜上私がつけた名前だ。まるで翼を広げた羽のようではないか。亡くなった集落の方々は、きっとあの青い空の彼方、天国に向かって旅立って行ったのだろう。


  

 名取市閖上地区の「日和山」も、今ではすっかり慰霊の丘になった感があったが、ここ荒浜(深沼)も、亡くなられた集落の方々に対する想いが強いのだろう。


             

 名前のないモニュメント。そしてシンプルな形と素材。その単純さこそが、尊い命を落とした死者に対する深い悼みの気持ちのように感じられた。


  

 綱を引っ張って鐘を鳴らした。「カ~ン」と言う高く澄み切った音だった。それが青い空に吸い込まれて行った。多くの魂よ、無事天国に届け。私の鳴らした鐘の音よ、無事天国に届け。爽やかな風が私の頬を叩いて行った。うんうん。どうやら鐘の音は届いたようだ。 


      

さて、かつての荒浜集落の中に、こんなバス停が幾つか置かれてある。全く無人と化した集落になぜこのようなバス停がと、大抵の人が不思議に思うだろう。


            

 種明かしがこれ。このバス停は、仙台市に住む若い女性アーティストが作ったもの。「本物」でない証拠として、時刻表の下部にはこんな言葉が書かれている。これは芸術作品。かつての集落が懐かしくてたまらない住民のことを伝え聞いたアーティストが、何かお手伝いしたくてこのようなものを作り、かつてのバス停に置いたのだ。

 話には続きがあり、「偽バス停」の噂を聞いた仙台市交通局が今年の春にたった1便だけ、臨時のバスを出した。それを知った地元の方が大勢バスに乗って、故郷を訪れたのだそうだ。私はそれを夕方のニュースで知った。「美談は新たな美談を生む」。お堅い役所の人も、たまには粋な計らいをすることがあると言う見本みたいな「本当の話」だ。<続く>





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Last updated  2017.04.23 04:30:03
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