マックス爺のエッセイ風日記

2017/11/04(土)09:24

長崎の離島旅5日間(11)

旅、温泉(359)

<苦難の旅路>           五島市の三井楽(みいらく)にある「遣唐使ふるさと館」へは、恐らくトイレ休憩の積りで立ち寄ったのだろう。これが私には幸いした。もしここに立ち寄らなかったら、三井楽がかつて遣唐使船が寄港した港であることを知らないままだったと思う。  古代、この港は「美弥良久」とも「旻楽」とも呼ばれていた。読みは「みみらく」。当時は日本の西の果て、西方浄土とも考えられていた由。そんな最果てから出港する遣唐使船に乗り込む人々の心中、そして見送る人々の心中はいかばかりだったろう。     遣唐使船の成功率は60%ちょっととガイドさん。だが中国から仏教を伝えに我が国へやって来た鑑真和上は5回目の渡航でようやく来日に成功したが、長い労苦のため盲目になったと伝えられている。    あらたうとおん目の雫ぬぐはばや    鑑真の徳を称えた芭蕉の句である。  遣唐使らの活動によって、中国から貴重な品々が我が国に招来された。東大寺正倉院の御物がそう。奈良国立博物館では今年も「正倉院展」が開催されている。さてガイドさんの自宅はこの三井楽にあり、現役の公民館長。またブログ友ローズコーンさんが大事にされている桜貝は、ここの浜辺で拾ったものだそうだ。これも何かの縁だろう。        昼食会場は鬼岳(左)が見えるレストランで摂った。鬼岳は火山で、頂上には火口がある由。そこから流れ出た溶岩が埋め尽くしたのが、この朝訪れた崎山鼻だった。雨風がかなり強くなっていて、園内にある売店の窓ガラスが強風で粉々になっていた。恐らく風で飛ばされたのが当たったのだろう。            鯖寿司などのご馳走をいただきながら、この天候で本当に飛行機が飛ぶのかどうか心配していた。添乗員はしきりに空港と連絡を取っていたようだ。食後手持無沙汰の私達は、土産物などを眺めるしかなかった。  私は対馬で天然の「蜂蜜羊羹」と「カス巻き」を買い、五島では「鯖節」、「かんころ餅」、アオサ入りの「調味塩」などを買った。お世話になっている近所の方に上げるためだ。        お別れにガイドさんが「岐宿の子守歌」を歌ってくれた。女中奉公に出された子供が、子守をしながら歌うとても物悲しい曲。東北もそうだが、昔の農山村、漁村はどこも貧しかったのだ。実直なガイドさんからは、多くのことを学ばせてもらった。ありがとうございますUさん。  私達は添乗員さんと一緒に飛行場へ寄った。翌日の切符を頼んだのだ。6mの波で、この日のフェリーは1便も出ず、飛行機も全く飛ばなかった。1日遅れだが、翌日でさえ予約が危うい状態だったのを、添乗員さんの頑張りで何とか全員のチケットが確保出来た。     前日泊まったホテルに戻りもう1泊。宿泊客が島に来れないため空室だらけ。夕食を外で摂る人もいたが、私はホテルに留まった。ここは安全第一だ。前夜飲んだ芋焼酎は止めて、この日は日本酒にした。あまりにも焼酎の味が薄く、アンケートに苦情を書いたほどだったのだ。さてこの日は衆議院議員選挙の投票日。私は深夜までずっと開票速報を観ていた。果たして国民はどんな審判を下すのだろう。<続く>

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る