マックス爺のエッセイ風日記

2019/02/02(土)10:56

やんばる そしてうちなー(18)

心のふるさと「沖縄」(106)

~辺戸岬から名護市へ~    辺戸の御嶽  第3日目。当時の部下Mさんが名護のホテルへ迎えに来てくれた。沖縄本島最北端の辺戸(へど)岬まで送ってもらうのだ。既に食料と飲み物はリュックに入れてある。名護市内を通り58号線とぶつかる伊差川交差点の様子を、頭に叩き込んだ。帰りはここから名護市内へ入る。もし間違えば大変な遠回りになってしまう。国道へ出たら後は楽。真っ直ぐ北上するだけの話。それに道は海岸沿いで平坦なのだ。   辺戸岬    辺戸岬に着いたのは8時半ごろだったはず。Mさんに別れを告げ、岬の売店前から南へ向かって走り出す。ここへ来たのはこの時で4度目。何にもない岬なのだが。私にとっては懐かしくて涙が出るほど思い出深い場所。国道を下らず「茅打ちバンダ」を通ろうと思い直す。そこはAさんが私たち家族を最初に案内してくれた場所。その彼も7年ほど前に心臓病で亡くなった。実に性格の良い人だった。    国頭村謝敷  国道へ出たらもう走れない。日差しを遮るものがないのだ。覚悟を決めて歩き出す。謝敷(じゃしき)は走友Tさんの故郷。民謡「謝敷節」の石碑があった。思い切り手を振って歩く。  クンジャンサバクイの碑    国頭(くんじゃん)さばくいの石碑を見つけたのは、果たしてどこの集落だったのか。何しろ国頭村は沖縄本島で一番広い村。辺野喜(べのき)だったか、与那だったか、はたまた辺士名(へんとな)周辺だったか。ともあれヤンバルは琉球王朝時代から木材の伐り出しで有名な地。首里城もここの木を船で那覇へ曳航して築城したと聞く。だが私の意識は朦朧とし始めた。間違いなく熱中症だ。                <大宜味村喜如嘉集落>  休憩所でアイスを食べた。ともかく水分と塩分の補給が大事。そこからさらに歩いて、隣の大宜味村(おおぎみそん)に入る。喜如嘉(きじょか)集落は長寿と芭蕉布で有名な村。その最初の売店で2度目の休憩。塩分補給のため「沖縄そば」を食べようとしたが、既に売り切れ。仕方なく再びアイスを注文。もちろん塩は持ち歩いている。それもミネラル分が豊富な「アスリートソルト」。宮古島の特産品だ。   糸芭蕉作り    国道を離れて喜如嘉集落へ入った。清潔な佇まい。それに日陰が涼しかった。ここには「芭蕉布」の復元で人間国宝になったオバーがいる。芭蕉布は夏涼しい布なのだが、糸が細くてかつ弱い。それを加工して束ね、糸を作り出すのだ。それで織ったのが「芭蕉布」。あの南国らしい優しい歌が私は大好きだ。塩屋湾に浮かぶ宮城島を通過。小さな風葬の島。橋を渡って犬がやって来た。放し飼いのようだ。     平南橋  平南橋を渡っていた時のこと、突風に帽子を飛ばされた。橋から見下ろすとかなり高い。それに河原に降りるのに時間を食いそう。もう諦めようと思ったが、「いやいや」と思い直した。帽子がなければさらに熱中症になる危険性が高まる。苦労して帽子を拾った。若者たちが河原でバーベキューをしていた。この川の最上流がオオシッタイ。20kmレースを2度走ったジャングルだ。   地図    ようやく名護市へ入った。稲嶺辺りではまだ明るかったのに、親川では完全な日没。気温が少し下がりようやく走り出し、伊差川交差点から名護中心街へと向かう。ところが道端のススキが嫌。真っ暗な上、ハブが出そうで怖いのだ。夢中で駆け抜け、灯りのある場所へ出た。この日の距離は50km程度か。第1回目は合計で140kmほど走り、歩いた。翌年はいよいよ難関の東海岸を走る。            <名護市の名物ヒンプンガジュマル>  今回は平坦な西海岸で、しかも整備された国道58号線だったから安全に歩けたが、東海岸はアップダウンの連続でしかも集落がほとんどない。泊る場所も限定されるだろう。さてどうするか。そこで対策を考え出した。まず夏の暑い時期はダメ、今回は大変な目に遭った。ではどんな時期が良いのか。<続く>

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