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マックス爺のエッセイ風日記

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2019.10.18
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<宮城の土偶3>

  

 こんにちは。今日もまたわたしたち土偶のお話よ。お願いだから、もう飽きたなんて言わないでね。

               

 最初にお話したように、わたしたち土偶が壊されているのは、人間に代わって災いを避けるためなの。壊すことによって人間が病気にならないなんて卑怯よねえ。

    
          
               
 <新しい命の誕生を祈って>。 でも縄文人の真剣な祈りが、やがて形を変えて行くのよ。

        
              <大きなおなか>

たとえば「流しびな」。これはもっともっと後の時代だけど、人間の災いを紙人形に託し、それを川に流して厄払いしたのよ。言ってみればそれが「雛人形」の始まりね。

       
               
               <生まれて来る子供が健やかでありますように>

 だから人形は「にんぎょう」じゃなくって、「ひとかた」だったのよ。人の形に作って人に代わって災いを受けてくれたの。縄文の土偶がバラバラに壊されたのも、それと一緒の考え方。つまり「ひとかた」だったって訳よね。

  
      

 わたしたちの時代から、出産は大事業だったの。だって今のように産婦人科の先生や助産婦さんもいなかったしね。だから母子ともに命を失うケースも多かったのよ。

     

 不幸にして亡くなった赤ちゃんは囲炉裏の周りを掘って埋めたり、住居の近くの墓地に埋めたのよ。それは亡くなった後も、家族の傍から離れないよう大事にされていた証拠なの。

       
            
        

 珍しく壊れてない土偶も見つかったようね。時には「アスファルト」や「ウルシ」などを接着剤にして修理した痕のある土偶が見つかることもあるんだって。それらはきっと重要な儀式で使うため、大事にされたんだろうね、きっと。

  
   
  

 少しは縄文人の気持ちが分かってもらえたかしら。そしてわたしたち土偶の重要な役割もね。<不定期に続く>





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Last updated  2019.10.18 00:00:16
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