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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.03.01
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カテゴリ:文化論
~アイヌ・崇高な民族~

  

 前回アイヌの人骨の話を書いてから、1週間ほど経った。体調が急に思わしくなくなって、そのまま放置していたが気になってその続きを書こうとしている。アイヌとは「人間」と言う意味なので、あえてアイヌ民族とかアイヌ族とかせずに、ここではそのままアイヌと表記することにしたい。アイヌが日本民族と異なる文化を持つ民族であることは知っている。だが、日本の先住民族とすることはどうかと思っている。

                

 これはかつての北海道の文化圏を図示したもの。しかし「かつて」とはいつかと、私の知識では正しく規定は出来ない。道南の黒い地域には縄文人が居住し、東北の縄文人と全く同じ文化圏に属していた。ところがオホーツク海沿岸には、かつて「オホーツク文化圏」と言うのがあった。北見市付近のモヨロ貝塚はその典型だろうか。民族としてはアムール川河口のギリヤーク、ツングース族だろうとされるようだ。

 擦文(さつもん)文化と言うのがあったことは知ってるが、その担い手である民族名は知らない。アイヌが当時の北海道に来たのは12世紀ごろと言うのが私の認識だった。彼らも元々はアムール川河口周辺の民族だった由。そしてその集団が、千島、樺太、北海道と3つに分かれた。衣装のデザインがそれぞれで異なるようだ。アイヌは文字を持たず、土地は神から授かったものとの大らかな一面がある。

  

 アイヌの口承文学として有名なのがユーカラ(正確にはユカッラ)で、各種の神話や伝承を口伝えに伝えた。いずれも音楽と結びついた哀愁を帯びた旋律で語られる。私も20以上ものユーカラを動画で鑑賞したが、アイヌの宗教観や文化、芸術、生活が偲ばれる貴重な文学と言えよう。アイヌにとっては自然は全て神との関係の中にあり、また万物に神が宿ると考えるのがアイヌの宇宙観でもある。

  志海苔館跡(函館市)  

 北海道(蝦夷が島)への和人の進出の記録は、奈良時代の阿倍比羅夫が渡島(道南)の粛慎(しゅくしん・みしはせ)を討伐したとあるのが嚆矢だろう。粛慎もアムール川河口のツングース族と言われる。和人の定着は道南への秋田氏(後に蠣崎氏、松前氏)が最初で、後に南北朝の戦いで破れた武士が、蝦夷が島へ移住した。私はたまたま函館市の湯の川温泉に宿泊した翌朝、津軽海峡沿いの国道を東に走った。

 9km先で見つけたのが上の「志海苔館跡」。これは室町時代の山城で、木村氏の居城。同氏も南北朝の戦いで破れてこの地へ流れ着いた武士。付近からは宋の銅銭が3万9千枚以上発掘され、青磁、白磁、珠洲焼、古瀬戸などが出土した。曲輪、井戸、空堀などを有している。「道南十二館」の一つで、この地のアイヌの有力者であるシャクシャインの襲撃にあって落城した。

 偶然ではあったが、中世の山城と出会い、アイヌと和人の戦いの痕跡と言う貴重な歴史遺産を知ることが出来た。これもランニングが趣味だったお陰と言えようか。後日地図で確認したが、場所は函館空港の直ぐ南側だった。上の写真で背後に見えるのが津軽海峡。城主の木村氏は津軽海峡や日本海を通じて広範に貿易を行っていたのだろう。なお出土した銅貨の枚数は日本一。それだけ貿易が順調だったことを示している。<続く>





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Last updated  2021.03.01 07:29:40
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Re:アイヌの話(1)(03/01)   あみ3008 さん
何度も北海道に行っているのに、ゆっくりあちこち見たことがなくて。
元気になったらグルーッと回ってみたいな。 (2021.03.01 21:42:19)

Re[1]:アイヌの話(1)(03/01)   マックス爺 さん
あみ3008さんへ

お早うございます。
ご来訪とコメントありがとうございます。😊

本当にそうですね。早く元気になって、
旅行を楽しめる日が来るのを、心から
願っていますよ。

私ももう少し元気になりたいものです。🌸(^^)v
(2021.03.02 09:31:56)

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