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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.03.03
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カテゴリ:文化論
~和人(シャモ)との交渉・交流史など~

  

 アイヌ新法の制定に先んじて、文部科学省は全国の研究機関等に対してアイヌ人骨の有無についての調査依頼をしたのだろうか。これによって3300体以上ものアイヌ人骨の存在が明らかになった。だが、肝心の大学などの研究機関がそれをどこから持って来たのかが分からない。中には古い時代に「発掘」したもあるが、アイヌに内緒で掘り出して落ち去ったものもあったのだと思う。

 市町村名は分かっても、詳しい場所は不明のケースが多かったのだろう。それで場所も遺族も不明の人骨の処置に困ったことで、ウポポイの敷地の一角に「慰霊施設」を設けてそこに納めることにしたのだろう。人骨を返却した研究機関が、遺族などの関係者へ謝罪することはなかったようだ。後で賠償などの問題になることを怖れたのだと思う。テレビで見た北大の副学長も、結局謝罪はしなかった。

  

 人骨を無断で持ち去られたのはアイヌだけではない。沖縄県今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓(左上)から京都大学などが昭和初期以降に持ち出していることが分かった。ここは琉球王朝成立前には、今帰仁城を根拠とする北山王朝関係者の風葬募と言われている。それが正しければ800年前から続く墓地で、人類学的にも貴重な資料であることは明白。だからと言って無断での持ち去りが許されるものではない。アイヌも琉球も結果的には「征服」された民族であるがゆえの所業と言うしかない。

   

 ウポポイの展示に関する基本方針は「過去の差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないで欲しい」との要請があった由。すると要請したのは政府だろうか。展示物の中にはホカイ(左上)やマキリ(右上)があるようだ。ホカイは漆を塗った容器だが、アイヌには漆を加工する技術はない。これは山伏などが移動する際に用いるが、江戸時代以降に和人との交流・交渉の中で入手したもの。マキリは小刀だが、アイヌには製鉄の技術はなく、これも和人との交流の中で入手したものを鞘(さや)や柄(え)にアイヌ独特の文様を刻んだものと思われる。和人との接触以前は、鉄は大陸経由で入手したのだろう。

   
    <縄文土器>        <擦文土器>         <内耳土器>

 縄文土器は沖縄県の宮古島でも北海道でも出土している。つまり縄文人が竪穴住居で生活しており、彼らが日本列島の「先住民族」だったわけだ。ただし日本一古い人骨は沖縄県の石垣島空港の地下で発掘された約3万5千年前のもの。この人骨は数体で、日本全体に広がった訳ではない。北海道で縄文土器の後に現れるのが「擦文土器」で、これを作ったのはオホーツク文化の担い手とされるツングース系の民族。アイヌが北海道へ渡って来たのは13世紀の鎌倉時代と言われており、彼らが作った「内耳土器」は鉄鍋を模したものと言われる。取っ手を付ける穴もあるが、全体的にかなり粗野な印象を受ける。<続く>





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Last updated  2021.03.03 00:00:10
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