マックス爺のエッセイ風日記

2021/03/19(金)00:00

わが3.11(8)

東日本大震災(59)

~わが故郷・宮城県その2~        宮城県は好漁場三陸海岸に近く、全国でも屈指の水産県。また牡鹿半島には捕鯨基地があり、新鮮な鯨肉が流通している。福島県を水源とする阿武隈川が南から、岩手県を水源とする北上川が北から流れて仙台平野を形成し、古くから開墾が進んで有数の米作地帯となっている。西は山形県と接し、松島、蔵王の観光地のほか、鳴子、鬼首、川渡、作並、秋保、遠刈田、小原、鎌先などの温泉地がある。  「東日本大震災」の際は津波によって大きな被害が出たことは既に記したが、牡鹿半島とその沖にある金華山(山と名はついているが島)との間の海峡は、津波の際は潮が引いて海底が見えたほど凄まじいものだったと言う。マグニチュード9.0、震度7強は世界最大クラスだが、三陸沖では平安時代の貞観地震など、大規模の災害が繰り返し起きている。     丘陵の新住宅地       女川町は津波による大きな被害を出したが東北電力女川原発は無事で、その後かさ上げ工事などを完了し再稼働の許可が出た。町は町民と共に復興計画を建て、丘陵を削って住宅地とし、その残土で駅と商業地を造成した。海が深いため行方不明者の大部分が未発見だが、今でも定期的に潜水して遺族たちが捜索し続けてている。ひっくり返った旧女川交番(下左)が震災遺構となっている。     かつての南三陸町       震災後の南三陸町     上の写真の海は志津川湾で、家並みは震災前の南三陸町。私はこの湾の周囲を走って一周したことがあった。朝、石巻市を出発してあの大川小学校の前や、神割崎を通って湾の向こう岸に出、右手奥のホテル(白い建物)の前から手前の海辺へ出、その日は町内袖ヶ浜の民宿に1泊。食べ切れないほどの海鮮料理に舌鼓を打った。翌朝は民宿をスタートしてゴールの気仙沼まで海沿いを走った。2日間で約90kmの走り旅。その時に走ったコースのほとんどが津波で大きな被害を受けた地。実に悲しく辛い思い出だ。                 上は東日本大震災で生じた気仙沼湾の津波火災。漂流した漁船同士が衝突して発生した火災が、やがて家屋などの膨大な瓦礫に延焼して大火災となった。同じことは仙台港の石油基地でも生じ、火力発電所が機能せずに長期間停電の原因となった。また仙台市ではガス管やガスの貯蔵タンクが被害を受けて、1か月以上のガス供給停止となり、後日、東京、中京地区、関西地区のガス会社から復旧援助を受けた。  震災後、震災で大きな被害を受けた気仙沼大島と唐桑半島を結ぶ連絡橋が架橋された。最初の計画から50年目に実現した夢で、島と気仙沼港を結んだ連絡船は廃止された。また気仙沼湾を跨ぐ横断橋が「三陸道」ルートの一部として架橋され、共に震災復興のシンボルとなった。今後は三陸地方の産業振興に大いなる力となるはずだ。<続く>

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