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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.05.15
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カテゴリ:歴史全般
~海中の火山~

  

 2018年11月14日午前0時44分。桜島は南岳火口から噴火した。噴煙は4千メートルに達したと言う。私たちはかつて学校で火山の種類を死火山、休火山、活火山の3種と習った。その区分だと桜島は当然活火山。今も激しい火山活動を呈している「現役」の火山だ。桜島は阿蘇山、霧島山、開聞岳そして東シナ海に浮かぶ南西諸島の硫黄鳥島まで続く「霧島火山帯」に属している。

            姶良カルデラ  

 今日のサブタイトルは「海中の火山」。意外に感じる人がるかも知れないが、桜島は陸地とは繋がっていても、れっきとした海の中の火山。上の図は直径約20kmの姶良(あいら)カルデラ。鹿児島湾の最奥部は丸い形で赤線の外輪山が残る。なお「霧島カルデラ」が中にあり、二重のカルデラになっている。

 海の中にカルデラがあるのは、かつてそこが火山活動の「現場」だったからだ。「たぎり」と呼ばれる火山性ガスの気泡が出る箇所があるのもそのせいだ。さて、最初の噴火は約3万年前の旧石器時代に桜島付近で起こり、噴出源から半径90kmの範囲が火砕流で埋め尽くされた。また火山灰は南九州で厚さ30m、高知県宿毛市で20m、京都で4m、関東でも10cm積もったようだ。それは地面を掘って調べると、いつの時代のどこの火山灰かが分かるのだが、それにしても物凄いエネルギーだ。

   

 姶良カルデラの名前も初めて聞いただろうが、次に紹介する「鬼界カルデラ」もきっと初耳だと思う。場所は鹿児島県の種子島の西側で屋久島の北側の東シナ海の中。左の地図の赤い丸で囲んだ場所。海の中なので分からないと思うけど、外輪山が「竹島」と「薩摩硫黄島」として残っている。「鬼界」の名は平安時代の僧俊寛らが流された島が「鬼界が島」とされたからだが、奄美には「喜界島」があって紛らわしいため、最近は「薩摩硫黄島」に改めた由。

    海中の「鬼界カルデラ」  

 人工衛星からの撮影と船による洋上からの観測で得られた海中の姿が上の図。直径が32kmもある世界最大級のカルデラが海中にあるが、死んではいない。巨大な溶岩ドームが立ち上がり、「マグマ溜まり」があることも分かっている。海中から火山性ガスの気泡が出ている。まさに鹿児島湾と同じ構造だ。

    鬼界カルデラからの火砕流と降灰の範囲

 分かりにくいが上の図は、ピンクが火砕流が及んだ範囲で、オレンジ色の降灰は東北地方にまで及んでいる。先史時代以前に超巨大噴火を複数回起こし、約7300年前の噴火は、地球最大級規模だったようで、その火砕流で九州南部の縄文人は絶滅したと言われていた。高温の溶岩が海を埋め尽くして九州の海岸まで行くのだから、その量と立ち上る水蒸気の凄まじさをつい想像してしまう。

    霧島市上野原縄文遺跡  

 ところがである。その説を覆す発見がされた。時は昭和61年(1986年)、所は霧島市(当時は国分市)。工業団地を造成中にとんでもない遺跡が発見されたのだ。何重もの地層の4層目は桜島の火山灰で縄文晩期だと判明。さらに掘り進めて9層目と10層目の境が縄文早期前葉の地層。そこから日本列島最古の大規模定住集落跡地が発見されたのだ。

  鬼界カルデラ外輪山の一つである薩摩硫黄島

    ことの重大にさに気づいた調査団はそこで発掘を中止して埋め戻した。そして現在は当時の住居跡を再現した縄文の森となり、展示施設を設けた。背後の海は鹿児島湾だろう。すると現地は小高い丘のようで、このため鬼界カルデラの火砕流に飲み込まれなかったのだろうか。

    上野原遺跡から出土した土器

 上は、同遺跡から発掘された7500年前の土器。分厚くて模様の無い不器用な土器だが、そのために破損を免れたのかも知れない。そして皮肉にも、幾層にも亘って降り積もった桜島の火山灰による「シラス台地」が地下の埋蔵品を守り、その後の開発を防いだのかも知れない。縄文は東北が最高の文化を誇っているとされて来たが、大規模定住はここが暮らし易かった証。多分日本の考古学史を書き変える発見だろう。

        上野原遺跡出土土器   

 考古学は面白い。単なる空想ではなく遺物を通じて、その時代の人の暮らしが明確に分かるからだ。私はこの遺跡の名前は知っていたが、実態は知らなかった。こうして困難なテーマに挑み、ブログを書くためネットで調査することで新たな知見を得る。何と言う果報だろう。同遺跡はその後国の史跡に指定された由。昨晩、200万アクセスを達成した。今後も元気で頑張りたい。読者の皆様に感謝だ。<続く>





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Last updated  2021.05.15 15:26:33
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