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マックス爺のエッセイ風日記

2021.05.17
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~日本人はどこから来たか~

     柳田國男

 昭和27年雑誌「心」に、後に「日本民俗学の父」と呼ばれた柳田國男が「海上の道」と題する論文を載せた。東京帝国大学の学生だった頃、愛知県の伊良湖崎の海岸に流れ着いた椰子の実を観て受けた、日本人は黒潮に乗って南から米を携えてやって来たとの「素朴な空想」からのものだった。そのイメージがやがて小学唱歌「やしの実」になったと言う。

               柳田國男の著書   

 「海上の道」は研究者たちから猛烈な批判を受けた。それは当然だ。考古学、日本古代史、言語学、宗教学、文化人類学などの観点からの考察がないのだから。その後研究と考察を重ね、かなり緻密な論考を発表し、彼の全集にも収載された。彼の論考は大筋では間違っていないが、十分とは言えない。そして彼の主張は関連分野研究の進展によって、補足されて行く。学問とはそういうものだ。

    古生物が辿った道

 上は氷河時代の日本列島のイメージ図。ナウマンゾウやアケボノゾウ、イリオモテヤマネコ、アマミノクロウサギ、ツシマヤマネコなどが、当時は大陸とつながっていた樺太や朝鮮半島、現在の中国方面から直接、そして一時期つながっていた西南諸島を通じて「日本」へやって来た。当時の日本海は大きな湖のようで、津軽海峡がわずかに開いていた。日本人の祖先もそれらの獲物を追って「日本列島」へ遅れてやって来たのだろう。もうその時は大陸から切り離されていたかも知れない。

       最古の人骨  

 これは沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した人骨。2016年までの研究で、2万7千年前の旧石器時代のものと判明。国内最古の人骨で、身長は165cm。全部で19体が「埋葬」されていた。この時代のまとまった人骨としては世界最多。DNA分析で、インドネシア人と近い特徴を持つことが分かっている。この遺跡は新石垣空港の造成工事中に発見され、今も滑走路の下にある。

   

 上は那覇市にある山下町第一洞穴とそこから出た人骨で、洞穴そのものは3万6千年前の遺跡と言われる。また南城市の港川フィッシャー遺跡からも人骨が出ている。沖縄県で古い人骨が発見される理由は、石灰岩地質で骨が融けずに残るからで、日本列島は火山灰の酸性度が高いため、骨が融けて残らないのだ。私は沖縄勤務当時山下洞穴を訪れた。昨年30年ぶりに行ったが、開発され昔の雰囲気がすっかり消えていた。

         奄美大島      

 そのほかの古い遺跡としては鹿児島県奄美大島の土浜ヤーヤ遺跡が2万5千円前のもの。徳之島の天城遺跡は3万年前のもの。沖縄県南城市のサキワタリ洞遺跡からは2万1千年前~1万3千年前の釣り針が発掘されており、これは世界最古の釣り針だそうだ。旧石器時代の古い遺跡が南西諸島に集中していることに驚く。

 こうして見ると藤村新一が起こした「偽石器事件」は酷かった。彼は北海道で「偽石器」を予め土に埋めているのを毎日新聞の記者に目撃され、それまでの「成果」が嘘だったことがバレた。15万年前、20万年前、30万年前と遡り、最後は60年前の石器発見と発表。彼の「発掘」を信じて「市町村史」を出版した自治体は数知れない。宮城県内の「馬場壇遺跡」や「座散乱木遺跡」の名を今もまだ覚えている。あの事件で、日本の旧石器時代研究はすっかり狂った。きっと30年間以上の空白だろう。ほえー!

    磨製石斧

 これは双刃石斧(そうじんせきふ)と呼ばれ、刃は裏表で使用され、さらに磨製(ませい)であるため、切れ味は鋭い。5千年前のもので、東南アジア、中国沿岸部、沖縄から南九州まで同じ形のものが出土している。これは生木を伐るのに使用する。用途は家の木材や丸木舟とするための伐り出しだ。木の「柄」にこの石斧を縛って固定し、木を切り倒した。

            

 左上は「丸ノミ形石斧」と呼ばれる石斧で、インドネシア、西南諸島から日本列島、東京の新宿の縄文遺跡からも出土したのを知っていた。右上は今回知った「桁ノ原型石斧」(けたのはらがたせきふ)と呼ばれ、長崎県の五島列島から沖縄本島にかけて出土している。どちらも用途は材木を刳り抜くためで、内側がカーブしている。それで丸太を刳り抜いて丸木舟を作った。

  
     

  丸木舟は海を渡るために必要だった。なぜ縄文人たちが海を渡ったか。危険を冒してまで欲しい物の筆頭が左下の黒曜石(こくようせき)。火山性でガラスのように鋭利。それを打ち欠き、右の鏃(やじり)や槍の穂先を作った。

 五島列島から出土の黒曜石は、佐賀県の腰岳(こしだけ)産。関東出土の物は伊豆七島の神津島産。青森の三内丸山遺跡の物は、北海道旭川付近の産。そしてロシアウラジオストック出土の物は、日本の隠岐の島産。いずれも丸木舟を漕ぎ、海を渡ったのだろう。人間は30kmの間に見えるものがないと不安を抱くらしい。だから縄文人たちは必死だったと思う。目ヨット<続く>






Last updated  2021.05.17 03:12:14
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