マックス爺のエッセイ風日記

2021/11/20(土)07:23

沖縄の話をしよう(3)

心のふるさと「沖縄」(106)

~祈る~     首里城「京ノ内」の御嶽にて  首里城内の御嶽(うたき)の中で最も重要なものは首里森御嶽だったことは前述した。私はその理由を、首里城が建つ前に御嶽のある森があったからではないかと考えている。その森にあったのが首里森御嶽(すいむいうたき)だから首里城の正式な名も「すいむいぐすく」だったのではとの推察。城と祈りの場である御嶽は密接な関係。つまり城は神によって守られていたのだ。神女の髷(まげ)の後ろに大きな簪(かんざし=後述)が見える。                 因みに最初の写真の低い塀の内側が御嶽の一つ。本来ならあの中で祈る。だが、この女性は琉球舞踊の踊り手で、テレビ撮影のため神女の服装をして御嶽の入口に立っただけ。そして御嶽自体も現在では信仰の対象でなく、ほとんど厳粛な雰囲気はない。第2回で載せた首里森御嶽も現在祭祀の対象になっていないが、風化した琉球石灰岩がいかにも古めかしく見えて、雰囲気はある。     これは2011年にNHKで放送された琉球歴史ドラマ「テンペスト」(嵐)で女優高岡早紀が演じた、琉球王国最高の神職である「聞得大君」「きこえおおぎみ)。琉球髷(まげ)を抑える大きな簪(かんざし)を琉球語で「ジーハ」と呼んだ。ジーハは身分により材料も形も違う。胸の赤い玉は「勾玉」。大君は王の血族で太古の卑弥呼や伊勢神宮の斎宮に当たり、国家の安泰を祈願するのが役目だった。  1)  2)  上は沖縄第一の聖地である斉場御嶽(せいふぁうたき)。「第一」の理由は琉球王朝時代、王や聞得大君がここで国の安寧を祈ったからだ。ここも世界遺産の一つ。御嶽の中には幾つかの聖地があり、それぞれ名前があって信仰の対象だった。  1)は巨大な岩が右側の岩にもたれかかって、きれいな三角形を作っている。大きな岩も三角形も日本古来の聖なるもの。2)は縄文時代の岩陰遺跡に良く似ている。多分縄文時代(沖縄では貝塚時代だったか)には縄文人が住んでいたと思われる。台風を避けるに好都合だったからだ。洞窟が聖なる場所であるのは古代日本も変わらない。          3)   3)は1)の三角の奥にある聖地で、ハート形の樹木の向こうの海上に見えるのが「神の島」久高島(くだかじま)。沖縄の神アマミキヨとシネリキヨが上陸した島であり、米などの「五穀」が漂着した島との神話がある。かつては琉球王が島に渡って神行事を行ったが、1600年代初頭に島津藩によって琉球が支配されると王が島に渡ることを禁じられ、ここは島を遥拝する「通し御嶽」となった。    それも王に代わって聞得大君が代参した。右の地図で見ると、斉場御嶽は知念半島の先端にあり、大君は色んな聖地を巡って首里からここまで来た。それを東回り(あがりうまーい)と呼ぶ。久高島はその沖5kmほどにある平坦な小島。この島の重要な神行事のことなどは改めて記すことにしたい。私は斉場御嶽が世界文化遺産に指定される前に3度、指定されてから1度訪れたが、指定前は観光客は誰もおらず怖いくらいで、とても神秘的な雰囲気が漂っていた。久高島へも1度船で渡ったが、とても不思議な経験をしたことがある。<続く>                昨日の金曜日、朝食抜きで消化器内科へ行って来ました。胃カメラの予約だったので朝食を摂っても良かったようですが、空腹でフラフラ状態ながら新たなことが分かって良かったです。ひょっとしたらセカンドオピニオンのために病院を変えるかも知れません。  そしてもうどなたもご存知のように、大リーグエンジェルスの大谷翔平選手が、下馬評通りアメリカンリーグのMVPに選ばれました。日本人のリーグMVPはイチロー選手以来偉業。しかも満票だったみたいですね。簡単ですがひとまずオメデトウと申し上げておきますね。やったね翔平!!

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