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マックス爺のエッセイ風日記

2022.04.13
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~尽きない思い出の島々~

    「ちむどんどん」のタイトル

 NHKの朝どら「ちむどんどん」が始まった。主な舞台が沖縄で、食べ物やご馳走にまつわる話のようだ。これは沖縄の本土復帰50年を記念しての番組。今から50年前と言えば1972年(昭和47年)で、私は3番目の職場である東京に勤務していた。そこの外郭団体に日本最西端の与那国島出身の2人の女性がいた。でも航空券が高くて、親戚の葬式に帰れないと彼女が嘆いていたのを覚えている。

                     

 話の舞台は沖縄本島の北部にある通称ヤンバルの山原村と言う設定になっている。多分西海岸のはず。東海岸は地形が険しくて不便なので。そして話は昭和39年(1964年)に東京から転校生がやって来ることから始まる。まだ本土復帰前だから国道もなく、米軍に合わせた右側通行。支払いはドル。村には共同売店が1軒あるだけ。その当時は那覇とどんな手段で往復したのだろう。当時長距離バスはないはず。  

  

 貧しい村では、皆が助け合って生きるしかない。腹を空かした子供らが食べるのは、島豆腐にサツマイモ。それが当たり前の暮らしだった。だが自然が豊かで人情も豊か。ちらっとシークワーサーの木が写った。柚子に似てるが完熟すると甘い。皮が薄くて簡単に剥ける。とても小さくて、ミカンの原型のような果物。私はシークワーサージュースが大好きで、島を走った時に家人から直接もらったこともある。

                    

 母親役の仲間由紀恵はウチナンチュ(沖縄人)で、ドラマでは那覇からこの村にやって来たとの設定になっている。恐らく戦災に遭いヤンバルに来たのだろう。「糸芭蕉」が籠に入っていたので、大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)集落をモデルにしたのかも。私はその集落内を走ったこともある。当然現地でのロケもしたろうが、ドラマのため精巧な沖縄の家屋をセットで造ったとも聞いた。

    「ちゅらさん」の一場面

 沖縄を舞台にした朝ドラの第1作目は「ちゅらさん」。沖縄の方言で「清らさ」が訛ったもの。美しいや清純の意味。ヒロインの「えみー」を演じたのが一般公募で選ばれた沖縄出身の国仲涼子。実に初々しくて可愛かった。放送は平成12年(2001年)で私は仙台の自宅から職場のある山形に長距離通勤していた。沖縄勤務の経験があったため、とても懐かしい場面ばかりだった。

         「民宿」になった民家  

 家族は父がマチャアキでウチナーグチ(沖縄弁)が下手くそ。逆に上手だった母親役の田中好子はその後若くして死んだ。古波蔵(こはぐら)家は八重山の小浜島出身と言う設定だが、私は石垣島と西表島の中間にあるその島へも旅し、かつ走った。やがて那覇市首里に出て来て民宿を始めるとの話。オバー役の平良とみが懐かしい。えみーの純愛と小浜島での最後のシーンが忘れられない。

   

 すっかり忘れていたが沖縄が舞台の朝ドラの第2弾が「愛と純」。主演の夏菜のことは良く覚えている。宮古島のホテルの娘で、修行のため大阪のホテルに勤務する話。意地悪なフロント係の女性役の黒木華よりもフロント主任役の吉田羊の印象が強烈。私が彼女の名を知った初めての作品だった。しかしあのドラマの中での宮古島の風景を思い出せない。

   

 写真左は宮古島の最西端の「池間大橋」で、前方に見えるのが池間島。まだ橋がなかった大昔、引き潮の時は「竹馬」で行き来していた由。右は島の最東端の東平安名崎。私は100kmの「宮古島わいどーマラソン」でどちらも走った。島を一周するコースなのだ。また出張で宮古島に行った際も島の中を走ったので、むしろその時の風景が心に残っている。

 沖縄には3年間勤務し、転勤後も良く沖縄へ行った。飛行機には往復で60回以上乗っただろう。機内からエメラルドグリーンの海が見え出すと、心がときめいたものだ。「ちむどんどん」=ドキドキしながら、今回の朝ドラを楽しみたいと思う。






Last updated  2022.04.13 09:51:22
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