カテゴリ:治療記録
抗がん剤投与から2週間が過ぎた。
今回もひどい副作用はなかった。 一時期唇がむけて赤くただれていたけれど、今はすっかりきれいになっている。 きれいに戻った唇を見たとき、あぁ母は生きていると、 母の治癒力に感動をした。感謝した。 肝臓のリンパ腫はどうなったのか、はまだわからないが、 腸は完全に閉塞しているだろう・・鼻から胃へ通した管からは一日800mlほどの緑色の液体が現在も出続けている。 先日ブログで部屋移動について書いた。 そのことを、叔父に用があったついでに手紙に書いてしまった。 ただ「部屋が変わりました」とだけ書けばいいのに、つい 「よく理由はわかりませんが、部屋が変更になりました。 最近、改築工事も行われていて騒音がひどいです」と書いてしまった。 メインの用は他のことで、これはついでに書き加えたつもりが、これに叔父は食いついてきた。 数日後、叔父から手紙が届いた。 嫌な予感、 3枚ぐらいに綴られた手紙の内容は、読むと心が暗く沈むような内容だった。 要するに、病室が変えられたのは病院側の嫌がらせの可能性がある、きちんと理由を正すべきだ、というようなこと。 あと病人が治療に専念しなければならない病室が工事の騒音でひどいのはもってのほかだ、というようなこと。 私の気持ちは暗く暗く沈む、 しまった、あんなこと書かなければよかった、 深い、深い後悔の波と渦。 確かに、いきなり部屋が変わったことは、びっくりして戸惑った。理由もよくわからないと確かに思った。 でもそれはその時だけで、今は部屋も掃除してきれいにしたし、新しい部屋の方が日当たりもいいような気がして、すっかり気持ちは新しい部屋に馴染んでる。 工事の音は時々うるさいけれど、母の部屋に限ったことではないだろう。 叔父の手紙を速やかに封印する。 反省、反省、 私の中の疑問や不信が叔父の不信を増幅させたと思ってる。 叔父は遠くに住んでいて病院や治療のことはほとんど知らない。 なのに、叔父の中では医療に対する不信感が渦巻いている。 その不信感の火種は、ちょっとした何かで燃え上がる。 その「ちょっとした何か」は私が与えているのだという自戒。 手紙の中で恐ろしいと思った言葉。 「相手にうるさいやつだと思われる方が、真剣に治療してもらえるものだ」とか、「そんなことでは○○さんにご報告しないといけません」と、相手を脅すようなことを言うように勧めること。 そもそもこの病院に入院した経緯も複雑だった。 叔父が半ば強引にこの病院に母を入院させている。 叔父は母のことを真剣に想ってくれているのだと想う。 そのことは伝わってくる、 でも私には、叔父の想い方は恐ろしい。 叔父のいる世界と私の世界は別世界だ。 本当に相手を脅すような行為をして、母がよりよい医療を受けれると思っているのだろうか。 私には全くそう思えない。 医療関係のブログや本など読むたびに、医療者側と患者側の視点の違いに気付かされることが多い。 私は患者の家族なので、医療者側の言葉(本音)を聞いて自分の無知さを恥じ入ることもある。 本音を言うと、いまだにどう主治医と向き合っていったらいいのかわからない部分もある。 ただ、医療者と患者が敵対しない関係であることを望む。 感情論かもしれないけれど、たとえどんな結果になってもお互いが「ありがとうございました」と思える関係を築き上げていきたいと思う。 今回の手紙のことは、母には何も話してないし、話すつもりもない。 この手紙は、私への戒めだ。私の中だけで封印する。 病室で母に聞いた 「お母さん、ここで入院してて何か不便なことある? ここで幸せ?」 母は言った。 「ここで幸せだよ」 私にはこの一言で充分だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 10, 2009 09:19:31 PM
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