テーマ:悪性リンパ腫(653)
カテゴリ:治療記録
主治医から母の病状説明があった。
CT検査の結果、新しい抗がん剤の効果は現状維持か若干悪化が見られるそうだ。 いつものように、今後の治療をどうするかの話になった。 1.同じ抗がん剤治療を続ける 2.弱い抗がん剤治療をゆっくり行う 3.緩和治療を行う(抗がん剤治療を止める) 母の体力や年齢を見ると、これ以上強い抗がん剤治療は考えられないそうだ。 今と同じ抗がん剤を続けても、今より効果があることはないだろうと言われた。 効かなくなった抗がん剤を使い続けることは意味がない。 抗がん剤の「毒」が身体を弱めていくだけだ。 わかっていても、 「よくなって欲しい、生きていて欲しい」 その気持ちが、医療を無視し藁をもつかむ気持ちにさせる。 感情ばかりが身体の中を駆け巡る。 主治医が「やはり家族は僕達とは認識が違うんですね」と言った。 先生無理だよ、私、精神分裂起こしそうだよ。 母の前では、「きっとよくなる。元気になれる」 元気になって、また一緒に母と食事をする、買い物をする、旅行も行く。 そう願う母の想いに寄り添って、そばにいるのに、 そんな私に先生は、 「治ることはありません。 恐らく食べれるようになることもないでしょう、 今の状態が一番良い状態だと思ってください。 これ以上、よくなることはないです。 今の状態も続くのは一ヶ月ぐらいでしょう、 二ヶ月もてばすごいと思います」 って、はっきり言う。 あまりにあっさり、はっきり、普通に言うから、私、泣けないじゃん、「へぇそうなんですか、びっくり」って、あいまいに笑うしかないじゃない。 きっとよくなる、よくなると必死に思って頑張ろうとしている母のそばにいるのが辛い。 心の底から、母と同じように思い切れない自分が辛い。 「元気になったら~~する」と先のことをあれこれ細かく予定し、心配さえする母の思いに寄り添い切れない自分が苦しい。 母がそう言う度に、心の中で「そんな未来ないんだよ」と思っている自分に嫌悪する、吐きそうだ。 わかってる、必死に未来をみることで、母は必死に生きようとしている。 半年にも及ぶ絶食状態。 お洒落な母が、脱毛した頭髪をどんな思いで見ているか。 全部、治りたいと願うから耐えてきた。 そんな母に自分の気持ちが楽になりたいからと、「お母さんはもう治らないんだよ」なんてどうして言える? 「母は治らない」と断言する医師の言葉と 母の「私は絶対よくなる」という気持ちの間で 私の心はいつも行き場を失う。 「死」に関わることを普通に話す、医師の前でも泣けず。 「死」のことは決して考えようとしない母の前でも私は泣けない。 助けて、誰でもいいから今の私を救って、 私の気持ちを聞いて、 私に泣く場所を下さい。泣かせて、 求める心。 でもそんな人(場所)いるんだろうか? 誰かって誰? 他人に救ってもらえる?本当にそう思う? 私の心の正念場。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 16, 2009 11:17:31 PM
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