カテゴリ:死別
「2008年4月5日 午後9時35分、母が死にました。」
死ぬ、なんて嫌な言葉だろう 口に出すと、ストレートに心に突き刺さり 自分で自分を刺してる気持ちになる、 母が亡くなって数年は 「母は亡くなりました」「母はいません」 と言い、決して言おうとしなかった言葉。 それなのに、あえて書いてる。 自虐的な行為をしてる。 今年は、忘れてたのに 夕方、ふと思い出してしまった。 「あぁ、今日は母の命日だ」 母のことは忘れることはない、 いつも思ってる、 でも命日は思い出さなくていい 思い出さない方がいい、 母が死んだ日を思い出して、楽しい気持ちになるわけない。 思い出すのは忘れる瞬間があるからだ。 思い出すこともなく、思い続けた年月、 それが、忘れるようになったのは良かったと思う。 命日は、宗教ではあの世に生まれ変わった日と言って めでたいように捉える思想もあるようだけど、 私はあの世なんてどうでもいい、興味がない。 めでたくもない。 母だって、めでたい日だなんて思ってないだろう。 だって、母は死にたくなかったんだから。 最期まで生きようとして もっと生きたかったんだもの、 私だって、母にもっと生きていて欲しかったんだもの 命日なんて、めでたくない、 思い出さずにすむなら、その方がいい 父にさりげなく「昨日、お母さんの命日だったね、覚えてた?」 と聞いたら、「お経をあげたよ」と言っていた。 最近、物忘れが多くなったのに覚えてたんだ。 命日なんて、思い出さなくてもいい。 母を思うのは楽しい思い出ばかりがいい。 笑ってる母だけを思い浮かべていたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 6, 2020 08:55:40 PM
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