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治療記録

April 8, 2009
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カテゴリ:治療記録
 3月31日に倒れてから、寝たきり状態になり、日々、驚くほどのスピードで衰弱は進んだ。

 4月5日、午前中はまだ会話が少しは出来たのが、夕方にはほとんど出来なくなっていた。
 それまでは強い痛みを訴えなかった母がその日は、背中、身体全体の痛みを訴えた。苦しそうに身体を動かし、目を大きく見開く母。

 午後3時ぐらいだったろうか。
私が苦しそうな母に
「お母さん大好きだからね、
お母さんのこと世界で一番愛してるからね、
お母さん私を生んでくれてありがとう、
お母さんの子供で生まれて本当に幸せだった
お母さんほど私のことを想い愛してくれる人は他にいないよ、
お母さんありがとう」
と話しかけていると

苦しそうな聞き取りにくい声で
「ありがとうございました、
ようやくわかりました、
お世話になりました、
ありがとうございました、ありがとうございました」
と繰り返した。
 
 その時は、そばにいた妹、叔母と一緒に
「お母さんお世話になりました、なんて
過去形で言わないでよ」と笑っていたけれど
その後は、ほとんど会話が出来なくなっていった。
 
 それが母の私との最後の会話になった・・・

 私は、ずっと母に病状告知をしようか悩み続けた。
遠まわしに、病状について伝えようと何度も試み、その度に母に拒絶され、母の想いを傷つけてきた。
 母の「ようやくわかりました」という言葉は、その私の想いに気付いてくれたということだろうか。
 あれほど、絶対元気になると、決して死について考えようとしなかった母が、あのとき自分の死期を悟ったように感じる。

 母の最期の言葉が「ありがとうございました」
という言葉だったことは一生忘れない。
絶対に忘れない。
 
 でも、私はどうだろうか。
あれほど生きると強く信じてきた母を最期の数日は、主治医も看護師も、母は死ぬことを前提に私に話しかけていた。
 その時まだ母は治ると信じ、がんばっていると言うのに・・

 そして私もまた、
私はもう随分前から、母の死を想い、
なんとかその時の自分の恐怖を免れようと
死に関する本を読み、その時の自分をシュミレーションしていた。
母の死という重みを一人では背負いきれず、苦しくて母とそれを共有したいと思ってた。
 私は母の生きたいという思いに寄り添いきれなかった。

 私は今、母に話しかける。
「お母さん私はお母さんに愛されるような人間ではないのです。
私はお母さんが死ぬのではないかとずっと思ってた、
お母さんがあれほど生きたいと願い続けていたのに
私はお母さんと一緒にそう信じきってあげれなかった。
いつもいつも怖く、お母さんの死を思わずにいられなかった。
 お母さん、ごめんなさいごめんなさい」

 愛されていたという想いが強ければ強いほど
後悔の想いも強くなる。

 こんなにも愛されて、たくさんの愛をくれたお母さん。
その愛をもっともっとあなたに返したかったのに
少しでも償いをさせて欲しいのに
 
 もうあなたはいない。






Last updated  April 9, 2009 11:05:39 AM
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April 6, 2009
カテゴリ:治療記録
 4月5日午後9時35分

 母は永眠しました。

 まだその時のことを思い出し、
書くのは辛く

 いつか、書けるときがくればと思います。

 






Last updated  April 6, 2009 08:38:29 PM
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April 3, 2009
カテゴリ:治療記録
 3月31日から母の容態が急に悪くなった。

 前日までは、一人でポータブルトイレや洗面所にも行けたのに、一緒に車椅子散歩もして、手すりにつかまりながらも歩いていたのに、それが一人では起き上がれなくなってしまった。
 洗面所に行こうとしてベッドから降りるときふらつき、転倒してしまったそうだ。

 CT検査の結果、肝臓のリンパ腫が破裂して出血をしていると言われた。
 強い痛みはないものの、苦しいらしく、母の眉間にしわが寄る。
 主治医から、「急速に悪くなっています。
もしかした週末を越せないかもしれません」と言われた。

 病棟を歩いていると、いつも母と歩く練習をしていた廊下に出た。

 ここを母は、手すりにつかまりながらいつもゆっくり、ゆっくり歩いた。
 背筋を伸ばすようにして、早く元気になるのだと言いながら歩いた。

 窓から差し込む夕日の光を浴びて、白く続く廊下。
その先に、ピンクのパジャマを着た小柄な女性が歩いている。
 点滴棒と一緒にゆっくりと歩く、母の幻影。

 私はその幻影の後ろ姿に話しかける

 お母さん、私はあなたにとって良い娘でしたか?

 お母さん、お母さん、

 ごめんなさい、ごめんなさい

 ブログを書くのがだんだん辛くなってきた。






Last updated  April 9, 2009 11:06:11 AM
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April 1, 2009
カテゴリ:治療記録
 主治医が母に病状説明をした。
同席したのは、父だけで私はしなかった。

 ソフトな説明を、生きる希望をなくさないようにとお願いしたせいか、「~は難しい」という表現だったためか、母にはうまく(正確に)伝わらなかったそうだ。
 主治医は「まだ治ると思ってます」と伝えてくれた。
告知の難しさを思う・・・

 病状説明後、母に会う。
母は「なかなか退院は難しいらしいよ、改築は焦りすぎたかな」と言った。でも改築はうれしいらしく、元気になって家に戻るのを楽しみにしている。
 そのうれしそうな母の顔を見ると、改築してよかったと心から思う、例えそれを母が使うことがないとしても・・
それほどに母はうれしそうに笑った。
 病状告知も母によく理解されなくて、よかったのかもと思う。

 ただ、それでも病状は進んでいく。
ビリルビンの値は上がり続ける、今日主治医から二桁の値になったと告げられた。
 主治医からいくら厳しい状態を告げられても、外見上は元気だった母が、ここ数日衰弱が進んでいる。
寝ている時間が長くなった、ベットから一人で起き上がるのが辛そうだ。微熱が続き、腹部も張ってきた、足もむくんでいる。
 それでも元気になるのだと、毎日の車椅子での散歩は欠かさない。
一生懸命生きようとしている母を想うと、何も出来ない自分の無力さに打ちのめされる。

 主治医に心臓マッサージ、人工呼吸器の延命治療をどうしますか、と再び確認された。
 今の母の状態で、延命治療の意味って何だろう。

 その一方で、どこか日本中を探せば母を助けてくれる病院・医師がいるのではないかと思う自分がいる。

 このまま、衰弱していく母を見てるのは辛い。
助けて
と心が叫ぶ。






Last updated  April 1, 2009 09:23:14 AM
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March 29, 2009
カテゴリ:治療記録
 主治医と、父、私、夫とでの面談。
母の病状説明と、その告知について。
 
 きっとよくなる、必ず治ると信じている母に、ずっと病状告知をするか悩んでいた。
 
 父は「お母さんの姿を見ていると、とても本当のことは言えない」と弱弱しく繰り返す。
「お父さんは自分の時は、正直に告知して欲しいと言うのにずるいね。
私はお母さんが尋ねなければ、こちらから話す必要はないと思ってる。
でも、問題はお母さんから尋ねられたとき、嘘をつきとおせるか自信はないよ」と私。
 主治医は、母への対応は家族一致していないとよくない、
父は言えない、私は言ってしまうかもしれない、では困ると言った。
 でも、どんな対応をするか決めたとしても、その場になったらわからないじゃないかと思う。
人と人とが真剣に向き合うとき、マニュアル対応はかえって邪魔になる。

 「本当のことを言うことで、あなたの気持ちは楽になるかもしれませんが、お母さんの気持ちを第一に考えてあげて下さい。言われたお母さんの辛さをあなたが変わりに背負ってあげると思えませんか。」
と以前、主治医に言われ、いったんはその言葉に納得もしたけれど、言うことだって辛いし怖い。
 言ってしまうことで母が嘆く姿を受け入れることが出来るかと、逃げ出したい気持ちにもなる。
 言うことは、相手を受け入れる責任を自分が持つということだ。
 元気になった時を考えてるときが一番楽しい、という母の気持ちを考えると、私が母の希望を奪ってしまうようで、言うのはとても辛い。

 でも、告知は父の意見を尊重しようと決めた。
「お父さんの意見でいいよ、私はお父さんの意見に従う。
お父さん、他に何か言いたいことない」と尋ねると
 今まであまり話さなかった父が、疲れたようにぽつりと
「お母さんね、もうすぐ退院するつもりだから、家の改修工事をしてくれとうるさくて。
だから来週、トイレを和式から洋式トイレに変える工事をするように今日業者に頼んできた。」と言った。
 私はびっくりした。
母のメモ帳には元気になったとき、したいこと買いたいものがいっぱい書いてある。
 今、母はそれらを少しづつ、実現させようとしている。
先日も、母に何度も何度も頼まれて、退院したら使うという調理器具を通販で購入した。例え使えなくても、それで母が満足するならと。
 それが今度は家の改修工事にまで至るとは・・

 でも私以上にびっくりしたのは主治医だった。
「えっ!!、そんな風にお母さん思ってらっしゃるんですか。
そういう心の状態はまずいですね。
やはりある程度、病状告知はした方がいいでしょう。
お父さん、それでいいですか。」
 今までは、どちらかといえば、病状告知については反対の態度をとっていた主治医が父の話を聞いて、初めてきっぱり提言した。
 私は、主治医に何度も「母は元気になるつもりでいます。先生を信頼して、先生の言うとおりにしていれば治ると信じています。」ということを伝え、その母の態度を危うく感じていたのだが、主治医にはうまく伝わっていなかったと初めて知った。
 その主治医の一言で、父も承諾し母に病状告知をすることになった。
 ただし厳しい告知ではなく、ソフトにとお願いして。
 「退院、外泊は難しいこと、抗がん剤は効いてないこと、今後も今の状態では抗がん剤治療は行えないこと。これだけは、伝えます。」と主治医は言った。

 どうなるんだろう、






Last updated  March 29, 2009 01:22:31 PM
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March 9, 2009
カテゴリ:治療記録
 最近、母はカリカリしてる。
すごくいろんなことに神経質に反応する。
自分の思い通りにならないことに苛立っている。

 私が主治医と病室の外で話しているのを知ると
強い口調で「何話してるの?私の病気のこと」と聞く。
 
 自分の体調がよくないことに対する、恐怖、不安の現われだろうか・・
 でも、母は決して病気のことは口にしない。
口にするのは、自分が元気になると信じる未来のことだ。
 今日も、春用のパジャマが欲しいから買ってきて欲しいと言った。
 
 明日から新婚旅行に旅立つ主治医に母の病状について聞いた
「肝臓は抗がん剤が効いて値はよくなっています。
ただ、輸血をしても血小板の値が3000と少なく、脳卒中の危険性があります。あとは、白血球が下がってきてるので感染症が一番心配です。」と言われた。

 今日は、母のパジャマを買いにデパートに寄るので早めに病院を出た。

 母の希望はこれから5月ぐらいまで着れるパジャマ、
色は薄い水色、ブランドはワコール。
 丁度、よいパジャマがあった、母に似合いそう。

 パジャマを買って、デパートの10階で催されている「高山物産展」に寄る。
 普段なら寄らない場所なのに、母ならきっと寄るだろうと思って、
 普段なら試食だけで買うことはしないのに、漬物、魚の粕漬け、味噌漬けなどを買う、母ならきっと何か買うだろうと思って、
 お店の人に、「3000円以上購入すれば、抽選券がもらえますよ」と言われ、レシートを見たら3000円を超えていた。
早速、ガラガラ回すくじを引く。
 赤い玉がポトリと落ちた。
と同時に会場の人が「おぉ~」と言って、うれしそうに拍手してくれた。
「2等です、おめでとうございます~」と言って、ベルまでリンリン鳴らしてくれた。
 景品は高山の特産品詰め合わせ。
人からおめでとうと言われ、祝福されることのうれしさ。

 帰り、一階の生ジューススタンドに寄る。
普段なら、一人では寄らない場所なのに、母ならきっとここで何か飲むだろうと思って、
母が元気になったら最初に食べたいと言った、いちごの生ジュースを頼んだ。
 甘酸っぱいあま王のいちごジュース。

 不思議な感覚だった、

母がいつも買い物に来た、
母が大好きなこのデパートで
母ならきっとこうするだろう、と
母のことを想い、買い物をすることで
私は母と一体になれる。

一人で買い物をしているのに
母と一緒に買い物を選んでいる気持ちになれる。
一人で飲んでるジュースなのに、
母と一緒に飲んでいる気持ちになれる。

 一人なのに、心は暖かい。

 
 

 
 






Last updated  March 12, 2009 11:56:41 AM
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February 23, 2009
カテゴリ:治療記録
 妹と話した結果、もういちど抗がん剤治療を行うことにした。

 治療をしなければ、一ヶ月持たないかも
しても、今のように元気な状態は恐らく一ヶ月ぐらいで、後は徐々に衰弱していくでしょう、と言われた中での選択だった。

 治療をするかどうかを迷ったのは抗がん剤の副作用を考えたからだ。
 でも決めた「する」と

 今日、2月23日から5日間の投与が始まった。
 
 主治医から肝機能が悪くなっている、もう治療をしても恐らく長くはない、
と言われて、苦しくて主治医にすがろうとしてしまい
 「そういうことを僕に言われても困ります、後はご家族で決めて下さい」
そう話す医師の対応に恨む気持ちさえ沸いてきた。
 むちゃくちゃな感情だ、
「では、先生は治療だけに専念すればよくて、心のことは関わりたくないと思っているんですね」
 こんなこと言うなんて自分でもどうかしている。

 私はこんなにも苦しくて誰かに救って欲しいのにと、冷静沈着な主治医を妬んでる。

 わかってる、本当はちゃんとわかってる。
主治医はとても誠実でよい人なのだと言う事を。
そう思うからこそ、彼にすがって救って欲しいと願ったのだ。

 弱い人間は、苦しみを一人で抱えきれない。
誰かのせいにしなくては、自分を支えきれない。
誰かを恨むことで自分の心の重荷を軽くしようと試みる。

 最低、

 というか、そんなことをしても
決して苦しみはなくならないのに・・

 人のせいにしても苦しみは減らない。

 終末医療に携わっているF医師にメールした。
今の想いを全て書いた。
 


 

 

 






Last updated  February 24, 2009 09:58:40 PM
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February 20, 2009
カテゴリ:治療記録
 最低な気持ち、

 主治医から「もう治らない」
「このまま、抗がん剤治療を続けるか、止めるか決断して欲しい」と言われて、数日。

 肝機能が落ちてきているので、もし抗がん剤治療を始めるなら、日曜の朝までに決断して欲しいと再度言われた。

 抗がん剤治療をしても治らない。
でも、何もしないよりは、延命出来る可能性はある。

 でも、抗がん剤の副作用による死の危険性がある。
外見上は元気そうに見える母だが、免疫力は落ちている。

 副作用の危険性が少ない抗がん剤治療をするという選択肢もあるが、主治医は弱い抗がん剤では効果はほとんどないだろうと言う。

 主治医は「抗がん剤による副作用死では、心に悔いが残るでしょう。がんによる衰弱死なら諦めもつくでしょうが・・」と言う。

 ただ、少しでも長く生きて欲しいという望みにかけるなら、あともう一度だけ、抗がん剤治療を試すという選択がある。

 どうする、どうする、どうする。

 というか、今はまだあんなにも元気そうな母なのに。
もう治らないということがどうしてもシンジラレナイ。
いつも病院に行くたび、元気になったらという話をする母を思うと辛くてたまらない。
 
  みぞおちが痛む。

 主治医の一言、一言が棘のように心に突き刺さる。
あと一ヶ月ぐらいでしょう、なんて恐ろしい言葉、吐かないで。
普通のことを言うように、「もう治りません」とはっきり言わないで。

 母が治らないのは主治医のせいではないのに、
彼はただ、自分の職務に忠実であるだけなのに、
彼にすがろうと、不安をぶつけようとしている自分に気付く。
あぁ、最低だ、

 どこか、他のところに逃げ出したい。
母が病気になる前に時間を戻して欲しい。

 絶対よくなると信じているから、半年に渡る絶食状態にも耐えている。
 絶対よくなると信じているから、副作用にも耐えられる。
食事をしたい、買い物に行きたい、旅行に行きたい、
何一つ、もう叶えてあげられないなんて・・・

 担当看護師が病棟で私を見かけ、声をかけに来てくれた。
「お母さんのことだけど大丈夫?」
「大丈夫じゃありません私、すごく辛いです」
でも、こうして声をかけてくれるだけですごくすごくうれしい。

 もし母が主治医の言葉を知ったら、
母の方がずっとずっと辛いことなのに。
一番苦しくて、悔しいのは母なのに。

 私のような想いをしている人はきっと、他にたくさんたくさんいるはずなのに、
 自分ひとりだけ、苦しいと感じている自分が情けない。

 逃げ出したくて、苦しくて、誰かにすがりつきたくて、
最低、最低の私。

 父は「俺はどうしたらいいかわからない、お前達に決断は任せるよ」と弱弱しく言った。

 明日、妹ともう一度話をする。
抗がん剤治療どうするか。


 




 






Last updated  February 20, 2009 08:58:45 PM
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February 16, 2009
カテゴリ:治療記録
 主治医から母の病状説明があった。

 CT検査の結果、新しい抗がん剤の効果は現状維持か若干悪化が見られるそうだ。
 いつものように、今後の治療をどうするかの話になった。

 1.同じ抗がん剤治療を続ける
 2.弱い抗がん剤治療をゆっくり行う
 3.緩和治療を行う(抗がん剤治療を止める)

 母の体力や年齢を見ると、これ以上強い抗がん剤治療は考えられないそうだ。
 
 今と同じ抗がん剤を続けても、今より効果があることはないだろうと言われた。
 効かなくなった抗がん剤を使い続けることは意味がない。
抗がん剤の「毒」が身体を弱めていくだけだ。
 わかっていても、
「よくなって欲しい、生きていて欲しい」
その気持ちが、医療を無視し藁をもつかむ気持ちにさせる。
 感情ばかりが身体の中を駆け巡る。

 主治医が「やはり家族は僕達とは認識が違うんですね」と言った。
 先生無理だよ、私、精神分裂起こしそうだよ。

 母の前では、「きっとよくなる。元気になれる」
元気になって、また一緒に母と食事をする、買い物をする、旅行も行く。
 そう願う母の想いに寄り添って、そばにいるのに、
そんな私に先生は、
 「治ることはありません。
恐らく食べれるようになることもないでしょう、
今の状態が一番良い状態だと思ってください。
これ以上、よくなることはないです。
今の状態も続くのは一ヶ月ぐらいでしょう、
二ヶ月もてばすごいと思います」
って、はっきり言う。
 あまりにあっさり、はっきり、普通に言うから、私、泣けないじゃん、「へぇそうなんですか、びっくり」って、あいまいに笑うしかないじゃない。

 きっとよくなる、よくなると必死に思って頑張ろうとしている母のそばにいるのが辛い。
 心の底から、母と同じように思い切れない自分が辛い。
「元気になったら~~する」と先のことをあれこれ細かく予定し、心配さえする母の思いに寄り添い切れない自分が苦しい。
母がそう言う度に、心の中で「そんな未来ないんだよ」と思っている自分に嫌悪する、吐きそうだ。

 わかってる、必死に未来をみることで、母は必死に生きようとしている。
 半年にも及ぶ絶食状態。
 お洒落な母が、脱毛した頭髪をどんな思いで見ているか。
全部、治りたいと願うから耐えてきた。
 そんな母に自分の気持ちが楽になりたいからと、「お母さんはもう治らないんだよ」なんてどうして言える?
 
「母は治らない」と断言する医師の言葉と
母の「私は絶対よくなる」という気持ちの間で
私の心はいつも行き場を失う。
「死」に関わることを普通に話す、医師の前でも泣けず。
「死」のことは決して考えようとしない母の前でも私は泣けない。
 
 助けて、誰でもいいから今の私を救って、
私の気持ちを聞いて、
私に泣く場所を下さい。泣かせて、
求める心。

 でもそんな人(場所)いるんだろうか?
誰かって誰?
他人に救ってもらえる?本当にそう思う?

 私の心の正念場。
 
 

 
 

 
 

 

 
 
 






Last updated  February 16, 2009 11:17:31 PM
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February 10, 2009
カテゴリ:治療記録
 抗がん剤投与から2週間が過ぎた。
今回もひどい副作用はなかった。
一時期唇がむけて赤くただれていたけれど、今はすっかりきれいになっている。
きれいに戻った唇を見たとき、あぁ母は生きていると、
母の治癒力に感動をした。感謝した。

 肝臓のリンパ腫はどうなったのか、はまだわからないが、
腸は完全に閉塞しているだろう・・鼻から胃へ通した管からは一日800mlほどの緑色の液体が現在も出続けている。

 先日ブログで部屋移動について書いた。
そのことを、叔父に用があったついでに手紙に書いてしまった。
ただ「部屋が変わりました」とだけ書けばいいのに、つい
「よく理由はわかりませんが、部屋が変更になりました。
最近、改築工事も行われていて騒音がひどいです」と書いてしまった。
 メインの用は他のことで、これはついでに書き加えたつもりが、これに叔父は食いついてきた。

 数日後、叔父から手紙が届いた。
嫌な予感、
3枚ぐらいに綴られた手紙の内容は、読むと心が暗く沈むような内容だった。
 要するに、病室が変えられたのは病院側の嫌がらせの可能性がある、きちんと理由を正すべきだ、というようなこと。
あと病人が治療に専念しなければならない病室が工事の騒音でひどいのはもってのほかだ、というようなこと。

 私の気持ちは暗く暗く沈む、
しまった、あんなこと書かなければよかった、
深い、深い後悔の波と渦。
 
 確かに、いきなり部屋が変わったことは、びっくりして戸惑った。理由もよくわからないと確かに思った。
 でもそれはその時だけで、今は部屋も掃除してきれいにしたし、新しい部屋の方が日当たりもいいような気がして、すっかり気持ちは新しい部屋に馴染んでる。
 工事の音は時々うるさいけれど、母の部屋に限ったことではないだろう。

 叔父の手紙を速やかに封印する。
反省、反省、
私の中の疑問や不信が叔父の不信を増幅させたと思ってる。
 叔父は遠くに住んでいて病院や治療のことはほとんど知らない。
なのに、叔父の中では医療に対する不信感が渦巻いている。
その不信感の火種は、ちょっとした何かで燃え上がる。
 その「ちょっとした何か」は私が与えているのだという自戒。

 手紙の中で恐ろしいと思った言葉。
「相手にうるさいやつだと思われる方が、真剣に治療してもらえるものだ」とか、「そんなことでは○○さんにご報告しないといけません」と、相手を脅すようなことを言うように勧めること。
そもそもこの病院に入院した経緯も複雑だった。
叔父が半ば強引にこの病院に母を入院させている。
  
 叔父は母のことを真剣に想ってくれているのだと想う。
そのことは伝わってくる、
でも私には、叔父の想い方は恐ろしい。
 叔父のいる世界と私の世界は別世界だ。

 本当に相手を脅すような行為をして、母がよりよい医療を受けれると思っているのだろうか。
私には全くそう思えない。

 医療関係のブログや本など読むたびに、医療者側と患者側の視点の違いに気付かされることが多い。
 私は患者の家族なので、医療者側の言葉(本音)を聞いて自分の無知さを恥じ入ることもある。
 本音を言うと、いまだにどう主治医と向き合っていったらいいのかわからない部分もある。
 
 ただ、医療者と患者が敵対しない関係であることを望む。
感情論かもしれないけれど、たとえどんな結果になってもお互いが「ありがとうございました」と思える関係を築き上げていきたいと思う。
 
 今回の手紙のことは、母には何も話してないし、話すつもりもない。
この手紙は、私への戒めだ。私の中だけで封印する。

 病室で母に聞いた
「お母さん、ここで入院してて何か不便なことある?
ここで幸せ?」

 母は言った。
「ここで幸せだよ」

 私にはこの一言で充分だ。

 
 
 
  
 
 

 

 
 






Last updated  February 10, 2009 09:19:31 PM
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