517661 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

一緒に歩こう

PR

X

全98件 (98件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 10 >

死別

February 27, 2021
XML
カテゴリ:死別
薄いグレー地で、茶のまだら模様があるニナリッチの財布。
母の形見。

 今も持っている理由は二つ。
まだ使えるから
母との思い出が詰まってるから

 最近、この財布を使おうと、中に小銭を入れておいた。
しばらくして小銭を出すと、ベタベタとべとついでいる。
使わなくなって、12年、どうやらレザー部分が劣化してべとついてるようだ。
ところどころ、地も剥げている。
使ってなくても劣化するんだ・・・・

 この財布を持っている理由の一つが消えた。
あとは、思い出・・

 使えないんだから、もう捨てよう
財布をティッシュに包み、その上から新聞紙をくるみゴミ箱に入れる。

 終活で、モノは減らそうと思ってる。
一つ、一つ、執着を手放し、身軽になっていきたい(生きたい、逝きたい)。
母の思い出が詰まったものは、わたしが生きてる間は残しておきたい
そんな気持ちもあるけれど、わたしには子供がいないから、
それを託せる人がいない、自分でケリをつけないと。

 母のモノで捨てられないものは、他にもある。
理由は、そのものである他は、思い出だ。
使えなくても、思い出が詰まっていると捨てられない。
 
 逝くとき持っていける形あるモノは、なにもなく、
持っていけるのは、形のない思い出だけなのに、
 
 生きているわたしは、まだ形あるモノを捨てられない。
いつかは、捨てて、身軽になりたいと思いつつ、
まだできない。

 翌日、ゴミ箱から財布を取り出し、
新聞紙を剥がし、ティッシュを取り、財布を見つめる。
もう使えないのに・・

 母の形見が入った箱にそれを入れる。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子供なし主婦へ
にほんブログ村






Last updated  February 27, 2021 02:34:28 PM
コメント(2) | コメントを書く


January 10, 2021
カテゴリ:死別
「家ついてていいですか?スペシャル」
お気に入り登録しているブロガーさんが
すごく感動した、たくさんの人に見て欲しい、と書いていた。

 内容を読むと、あるバンドマンがガンになり、その死までのドキュメントらしい。
わたしは、母をガンで亡くしている。
「ガン」+」「死」というのは、わたしにはトラウマがある。
母を亡くして12年経った今も・・

 わたしが見るのはどうなんだろう・・と思いつつ、
ちょっと緊張しながら見た。

 最初の、彼の恋人への取材場面は以前放送で見たことがあり、
あっ、この人か、とすぐわかった。
 そのときは、恋人の語りがメインだったので、冷静に見れた。
今回は、本人が出る、ガンに侵され彼の心臓が止まる瞬間までが撮影されている。

 ガンは、人を内から侵食する、その人の生命を吸い取って、増殖し続ける
肉を水分を食い尽くされ、骸骨に皮だけがくっついている、
それでも彼は生きている。
 肉体は、限りなく死に近づいているのに、精神は生きている、生きようとしている。

 骨になり朽ち果てて行く彼の肉体から、
生きたいと溢れ出す彼の叫び。
 
 失われようとしている肉体から
まだまだ、生きたいと彼の声が聞こえてくる
それを見るのが、せつない、かなしい、くるしい、
そんな彼に何もできない自分がくるしい、(お母さんごめんね)
そんな彼をみているのが恐ろしい、(お母さんごめんね)
 目を閉じて、耳をふさぎ、しゃがみ込む。

 つーちゃんと一緒に見ていてよかった。
一人で見てたら、と思うと、こわくなった。
自分が平静でいられないようで、こわかった。
一緒に見ている人がいてよかった、

 こわくて、こわくて、たまらなかった・・

つづく、かも、

にほんブログ村 主婦日記ブログ 50代主婦へ
にほんブログ村






Last updated  January 10, 2021 11:00:46 AM
コメント(0) | コメントを書く
October 22, 2020
カテゴリ:死別
義妹の実父が12日に亡くなりました。
夜中の2時に、つーちゃんのスマホが鳴ってるなぁと、ぼんやり思ってたら
訃報の知らせでした。
 数年前、腎臓がんになり、手術をし、無事退院し、元気で暮らしていると聞いていました。
突然のことだったのか、がんが死因だったのか、聞いていないので、
全く知りません。

 コロナもあるので、身内だけ、家族葬になると聞いていて、
私たちは、直接の身内ではないので、呼ばれないかも・・と思っていましたが
やはり、つーちゃんの弟(義妹の夫)から、私たち参列しなくていい、と言われました。
 
 つーちゃんの弟は婿入りをしていて、義妹の家は、お盆や正月には昔からのしきたりを
きちんと守っていくような家、本家とか分家とかがある世界。
 お葬式も自宅で行うらしい。
(私たちの市では、ほとんどの人がお葬式は葬儀会館で行ってる)
 一度、義妹の祖父が亡くなった時、葬儀に参列したけど、仏間に、立派な衣装を身に着けた
坊様が三人も入ってきて驚いた。
(人数と、きらびやかな衣装に!)
 
 義妹からは、私には直接、連絡はない。
何か一言、連絡を入れた方がいいのか迷う。
つーちゃんに相談すると、向こうから私に訃報の知らせが直接ないのなら
こちらから連絡しない方がいい、と言われて、私も、そう思う。

 訃報のときって、いろいろ迷う。
声をかけたい気持ちもある一方、相手の気持ちを考えると、言う言葉は何も見つからない。
「辛いですよね」なんて、バカみたいな当たり前の言葉しか見つからない。
誰よりも辛いに決まってるじゃないか、って。
 
 といっても、どうしてるかな、とふと思ってしまう。
なぜ、連絡くれないのかな、とか
それどころじゃない心境なのかな、とか、とか、

 まずは待って、49日を過ぎても私に直接連絡がなかったら
メールでもしてみようかな、

 でも、なんて、書いたらいいんだろう、
言葉じゃない、気持ちを伝えたいとき、普段そばにいない相手だと
どうしていいのか、全くわからない。
そばにいる相手なら、ただそばにいるだけで充分と思うけど。

 離れてても、気持ちは伝わる、
本当だったらいいのに、言葉はみつからないけど
 義妹のことは想ってる。
想ってる・・想ってるよ・・伝わりますように

にほんブログ村 主婦日記ブログ 50代主婦へ
にほんブログ村






Last updated  October 24, 2020 12:41:37 PM
コメント(0) | コメントを書く
September 7, 2020
カテゴリ:死別
「亡くなった人を想う時、その人はあなたのそばにいる」
という言葉をよく聞くし、本でも読む。

 私にはいつもこれがピンとこない。
今日も、ある本を読んでいて、同じようなことが書いてあったけど
やっぱり、わからず、ただ、文章を読んだ、という読後感だった。

 私は、母を11年前になくして、今でも
母のことを思い出すと、簡単に泣ける。
 だから、ある領域まで想いがつのると、ぐっと踏みとどまって
そこから引き返す、それ以上進むと泣いてしまうから。

 でも、そのとき、母がそばにいる、と全く感じない、思わない。
この目で見て、触って、会話が出来ない限り
そんなこと信じない。

 なんで?と言われても、そうなんだから、仕方ない。
だから、「亡くなった人想う時、その人はあなたのそばにいる」
と思える人が、うらやましい。

 わたしは、魂の存在を信じてないからだろうか?
いや、魂はあると思ってるけど・・。
頭で思うことと、実感は違う。

 いつか、母のことを思い出すと
母の存在を近くに感じ、満たされた気持ちが
胸がいっぱいに広がる日がくるんだろうか、

 そんなことを思いながら、何度も何度もその箇所を読んだ。
実感がなくても、このことは覚えておこうと、何度も読んだ。


にほんブログ村 主婦日記ブログ 子供なし主婦へ
にほんブログ村






Last updated  September 7, 2020 12:45:29 PM
コメント(0) | コメントを書く
August 15, 2020
カテゴリ:死別
午前中、母の写真とお骨の前でお経をあげた、
私が好きなお経、般若心経。
お盆にあげるのかどうか知らない、

 お経をあげて、母の写真をじっと見つめる。
頭が真っ白、何も言葉が浮かんでこない。
 霊がいると思ってる人なら、ここで
「お母さん、元気?」と話しかけるだろうが、
私は、亡くなった霊がそばにいると思ってないので
何もかける言葉がない・・・・
 写真の母を見つめていて、頭に浮かんでくるのは
生きているときの母との思い出、
そんなことを頭から引きずり出していると、
母が恋しくてたまらなくなり、
辛くなって泣いてしまうので、止める。

 意識を現在に戻さないと・・・泣く。

 で、ふと思った、
霊がそばにいるって、思うことは良いことだ。
 生きてる人の救いになる。
過去を振り返るのは辛いけど、今もそばにいると思うことで
癒される、救われる。
 宗教は、亡くなった人のためでなく、生きてる人のためにある
現在の日本のお坊さんの役割は、主に葬式を連想させ、亡くなった人のため
のように思えるけど、本来は、亡くなった人を偲び、嘆き苦しむ人のために
生きて行く道を導くことじゃないだろうか。
 そういう意味では、
「あなたのお母さんはいつもあなたのそばに、今もいるんですよ」
と言ってもらえたら、どんなに救いになるだろう。

 そう思えないけど、そう思えるようになれるといいな
と思った。
 お母さんの霊なら会いたいよ、話したいよ。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子供なし主婦へ
にほんブログ村






Last updated  August 15, 2020 01:01:34 PM
コメント(0) | コメントを書く
August 14, 2020
カテゴリ:死別
お経をあげた、母の写真とお骨の前で。
母の顔を見ながら、お盆前に見た夢を想った。
悲しく、変な夢だった。
悲しすぎて目が覚めたほど。

 母の入院している病室に行くと、
病室はきれいに片付けられていて、母がいない。
私は、軽くパニックになって、看護師さんに
「母はどこですか?」と聞くと
「さぁ、部屋を変わられたのではないですか」という。
そんな話は聞いてない、それに部屋を変わったなんて
何かあったんだろうか、いやな予感。
 病院内をあちこち探す。
すると、廊下を歩いている母を見つけた。
私はうれしくて「お母さん!」と呼ぶ。
母は私の方を見るけど、悲しそうに笑うだけ、
よく見ると、両手がなかった、
長袖のパジャマを着てるけど、肩から先がしぼんで袖がブラブラと揺れていた。
切断したの?びっくりしたけど、母に会えた喜びの方が大きくて
急いで母のそばに行こうとするけれど、
母は、そのまま寂しそうに笑って、私に背を向け、反対方向へ歩いて行ってしまう。

 その母の悲しそうな笑い顔が胸に突き刺さり、目が覚めた。

 なんであんな夢を見たんだろう、さっぱりわからない、
夢はもともとさっぱりわからないものだけど
悲しい夢は嫌だな、悲しくて
意味のないものに、意味を求めてしまう、自分を納得させたくて。

 亡くなった人の魂が戻ってくるとか、
魂がこの世を彷徨うなんて思ってないのに、
お経をあげようか、と思ったのも、その夢のせいかも。
ことさら熱心に2回もお経を読んでしまった。

 なんだかんだ言っても、亡き人を思い出す、お盆。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子供なし主婦へ
にほんブログ村






Last updated  August 15, 2020 10:03:10 AM
コメント(0) | コメントを書く
May 22, 2020
カテゴリ:死別
私は、母を2009年になくしました。
2008年6月に入院し、2009年4月に亡くなりました。
 当時のことを私はブログに綴り続けました。
書かいておこう、というより、書かずにはいられなかった
そんな心境で書き続けました。
 入院してから、亡くなるまでのことや
そのときの私の想いはブログを読んでいただければわかると思います。
 私は、読めませんが・・

 母を亡くしたことは、私の人生40年の中で、最大の辛い出来事でした。
この世にはこんな辛いことがあるのか、と思いました。

 一年経てば立ち直ると思っていましたが、私は何年も何年も
引きづり続け、妹からも
「家にじっとしてないで、働いたら」と言われ
他の人も、最初は一緒に悲しんでくれましたが、
だんだんと冷ややかになっていくように、感じました。

 私が少しずつ変わっていったのは、
医学生の前で、母を亡くした体験を話してからです。
医学生に分かるように、原稿を書き、それを読みました。
 寝ている学生もいれば、じっと私の方を見て聞いてくれたり、
泣いてくれる学生もいました。

 それから、ようやく周りが見えるようになり、
「大切な人をなくした経験があるのは、自分だけでない」
というごく当たり前のことに気づき、その人たちが
その悲しみを抱えつつも、前向きに生きていることが
ようやく、わかるようになりました。

 悲しみを垂れ流し続けていても、それは尽きることはない。
悲しみと共に、生きていく。
 母のことを思い出し、辛い気持ちになるときは
今、生きている大切な人に目を向けるようにしました。
父や、夫です。
父や夫の顔を思い浮かべることで、過去の悲しみに引きずりこまれそうに
なる自分を、現在に、引き戻していました。

 母を亡くしてから、10年が経ちましたが、
悲しみは、いまも私の中にあります。
 私の中の深いところにあって、何かのきっかけで
それはすぐ、表面に浮かび上がります。
 母のことで、私は、泣こうと思えば、簡単にいつでも泣けます。

 いつか、この悲しみが浄化され、美しいものに変わるだろう
という期待は、もう今はありません。
 いつかは来る、のかもしれませんが・・期待はしてません。

 深いところに、いまも変わらぬ悲しみを抱えて
私は生きています。
 今生きてる人を大切にしようと、日々おもいながら

 母の死で、私にとって死はとても身近になりました。
死ぬのが怖くなくなった、わけではありません、
死ぬのがなおさら怖くなりました、とっても怖いです。

 死はいつも私の身近にいるので、気持ちはいつも終活状態です。

 私のブログにコメント下さる方には
母の闘病生活のブログを読んで、書いて下さる方が時々います。
 10年も前に書いたのに、と驚きますが、うれしく思います。
 
 私は、母を亡くしたこの気持ちを誰かと分かち合いたかった。
同じように、大切な人をなくした人と語り合い、
一緒に泣く時間を共有したいと願いました。
いろいろ探しましたが、身近でそういう集まりはありませんでした。

 大切な人をなくした人で、何か言葉にしたい方は
これからも、ブログにコメントを入れて下さい。
 経験したことなら、一緒に語り合い、分かち合うことができるかもしれません。

 悲しみの形はいろいろあると思いますが、
私のブログに共感して下さる方は、きっと
私と、悲しみの形がよく似ているからでしょう。
 あなたに会えてうれしいです。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 50代主婦へ
にほんブログ村






Last updated  May 22, 2020 07:46:38 PM
コメント(2) | コメントを書く
April 6, 2020
カテゴリ:死別
「2008年4月5日 午後9時35分、母が死にました。」
死ぬ、なんて嫌な言葉だろう
口に出すと、ストレートに心に突き刺さり
自分で自分を刺してる気持ちになる、
母が亡くなって数年は
「母は亡くなりました」「母はいません」
と言い、決して言おうとしなかった言葉。

 それなのに、あえて書いてる。
自虐的な行為をしてる。

 今年は、忘れてたのに
夕方、ふと思い出してしまった。
「あぁ、今日は母の命日だ」

 母のことは忘れることはない、
いつも思ってる、
でも命日は思い出さなくていい
思い出さない方がいい、
母が死んだ日を思い出して、楽しい気持ちになるわけない。
 
 思い出すのは忘れる瞬間があるからだ。
思い出すこともなく、思い続けた年月、
それが、忘れるようになったのは良かったと思う。

 命日は、宗教ではあの世に生まれ変わった日と言って
めでたいように捉える思想もあるようだけど、
私はあの世なんてどうでもいい、興味がない。
めでたくもない。

 母だって、めでたい日だなんて思ってないだろう。

 だって、母は死にたくなかったんだから。
最期まで生きようとして
もっと生きたかったんだもの、

 私だって、母にもっと生きていて欲しかったんだもの

 命日なんて、めでたくない、
思い出さずにすむなら、その方がいい

 父にさりげなく「昨日、お母さんの命日だったね、覚えてた?」
と聞いたら、「お経をあげたよ」と言っていた。
 最近、物忘れが多くなったのに覚えてたんだ。

 命日なんて、思い出さなくてもいい。

 母を思うのは楽しい思い出ばかりがいい。
笑ってる母だけを思い浮かべていたい。






Last updated  April 6, 2020 08:55:40 PM
コメント(0) | コメントを書く
February 18, 2020
カテゴリ:死別
東京マラソンが中止になって、「そんな必要あるのか」とある番組のコメンテーターが言っていた。
開催して感染が広がっても、何か言われる
開催を中止しても、何か言われる。
 何しても、何か言いたくなる人はいる。

 昨日、ドラックストアーに行ったとき、マスク売り場にお年寄りがいた。
小柄な女性で、マスクにほとんど覆われた小さな顔が可愛らしかった。
次に、消毒の売り場でもその女性とあった。
じっと、棚を見つめていたので、「何かお探しですか?」と
心の声で尋ねたけれど、口には出さなかった、
 小柄で、マスクにほとんど覆われた顔を見つめていると、母を思い出す。
病室でマスクをしていた母の姿。
母の顔の大きさに比べて大きすぎるマスクは、役に立っていたのだろうか。

 平日の商店街は高齢者が多く、
母の大好きだった高島屋も同じ、
母が亡くなってしばらくは、この商店街や高島屋に行くのがつらかった。
母と年齢・背格好が似ている女性を見ると、心臓がどくどくした、泣きたくなった。
 あれから10年、もう平気になったと思ったんだけど

 夫を亡くした玉置妙憂さんが、著書で
「思う存分、悲しめばいい、底まで沈んで人は
底を蹴って浮き上がれる」というようなことを言ってらした。
 
 私の場合、底まで沈んだかわからない、そういう実感がない。
浮き上がってきた実感もない。
 ただ、封印しただけだ、悲しみを嘆きを
今生きている人を見つめて生きると決意して、封印した。
 封印しただけだから、それを開けるのが怖い
悲しみ嘆きが襲ってくるようで怖い、それはまだきっとある。

 昨日、ドラックストアーで会った女性をまた思い出す。
マスクを買いに来たのかな?アルコール液かな?
私が去った後、どうしたのかな、お店の人に聞いたかな
年齢弱者が守られる社会でありますように。






Last updated  February 18, 2020 03:17:55 PM
コメント(0) | コメントを書く
August 25, 2013
カテゴリ:死別
 鎮魂の祭り
死者の霊を慰めるためのものだろうか

 私は、遺された人の心を慰めるためのものだと思ってる。
悲しいのは、
亡くなった人ではなくて、
遺された方
苦しんでいるのは、遺された人
 
 死んだ人が可哀そう、と遺された人は口にするけど
可哀そうなのは、本当は苦しんでいる自分自身。

 私は、自分の希望でもあるけれど
死を不吉なもの、不幸なもの、と捉えないような価値観を
自分の中に探してる。

 「まだ10年は生きたい」
と言っていた母を思い出すと、苦しい。

 でも、亡くなった母を憐れに思うのは
やめたい・・と思ってる。

 私は、
亡くなってしまった母を憐れんで泣くのではなく
大切な人を亡くしてしまった
自分自身を憐れに思い泣く。

 母のために泣いているのではなく
自分自身のために泣いている。
 
 まずは、そこから

にほんブログ村 家族ブログ 死別へ
にほんブログ村

 

 

 






Last updated  August 25, 2013 03:45:27 PM
コメント(0) | コメントを書く

全98件 (98件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 10 >


© Rakuten Group, Inc.