2011/03/18(金)21:51
~お遍路11番札所~17番札所へ<Part2>…~
に乗ること10分、12番札所『焼山寺』から3.0キロの道のりです。
で来た道を降りていると、私の両親と遭遇。
父曰く、今から12番札所に行くのだそうで・・・
『から本堂までが積もっているから気をつけて歩くように』と伝え、道を下りました。
『四国お遍路の元祖ともいわれる衛門三郎の像が、途中にあるよ』と主人が言ったので寄ってみることに。
弘法大師出現所右衛門三郎霊跡
そして2人の像がこちら
ここ(杖杉庵=じょうしんあん)で、衛門三郎と弘法大師さまがであった場所とされ、2人の像が建っています。
衛門三郎が、弘法大師から許しを得る姿の像です。
わかりますかねえ。向かって左側が衛門三郎、右が弘法大師さまです。
『杖杉庵』が隣に建ってありましたが、撮り損ねてしまいました。
ここで、
四国お遍路の元祖・衛門三郎(えもんさぶろう)伝説について書きますね。
四国お遍路の元祖と伝承される人物、それが衛門三郎です。
もとは強欲非道な人物だったが、弘法大師とのかかわりの中で奇しくも思考巡礼の旅に出ることになりました。
平安時代の初期、伊予を治めていた河野家の一族である衛門三郎は浮穴郡(現在の松山市恵原町のあたり)で富豪として権威をふるっていました。
ある日、屋敷を訪ねてきた托鉢の僧を追い払おうと、衛門三郎は僧の鉢を竹ぼうきでたたき壊してしまいます。托鉢は8つに割れてしまいました。
実はこの僧こそ弘法大師だったのです。
その翌日から衛門三郎の8人の子供達が次々に死んでしまいました。
悲しみの中、大師へのひどい仕打ちを悔やんだ衛門三郎は、弘法大師の許しを得るために四国巡礼の旅に出ました。
いわゆる四国お遍路です。
しかし、道中で巡り合えないまま20回もお遍路を重ねました。
弘法大師の後を追っているばかりでは巡り合えないと考えた衛門三郎は、21回目のお遍路を逆回りで始めました。
その21回目のお遍路の途中、衛門三郎は、阿波(徳島)の12番霊場・焼山寺の麓で、衛門三郎は力尽きて倒れてしまいました。
そこへ現れたのが『弘法大師』だったのです。
許しを請う衛門三郎に、望みはあるかと尋ねました。
出来るなら来世も河野家に生まれ変わりたいと申し出た衛門三郎は、そのまま息を引き取りました。
翌年、伊予の豪族・河野家に生まれた男の子の手が開かないため安養寺=今の石手寺に祈念したところ、手を開いたそうです。その男の子の手のひらには、『衛門三郎』と刻まれた石が握られていました。
この石は、『安養寺』に奉納され、寺の名が『石手寺』と改めたのが
現在の51番札所『石手寺』の名前の由来と言われています。
現在その石は『石手寺』の『大講堂』に大切に納められています。
『石手寺』にお参りの時は、是非、『大講堂』に足を運んでみてくださいね。
四国お遍路の逆打ちに、ご利益があるとされるのは、この衛門三郎のエピソードに由来されているからなのかも知れませんね。
主人の話では、逆打ちをするとご利益が3倍になるそうです。
今度新たに参るときは、逆打ちを試みようと思った繭なのでした。