十如是仏様の教え/十如是】仏様が覚った諸法実相(ものごとの真実)の内容を、法華経方便品は十如是 として表現しています。 相:外面的な姿 性:内面的な性質 体:物理的な存在 力:可能性としての力 作:外に現れた作用 因:原因 縁:周囲のものとの関係 果:結果 報:結果の持つ意味 本末究竟等:相から報まで全てが一事に備えられている状態 経文では「如是相(かくのごときの相/以下同様)如是性如是体如是力如是 作如是因如是縁如是果如是報如是本末究竟等」となっているので、この十の分 類を十如是というのです。 どのような物事も多面的なものです。しかし私たちは大抵、ある一面からし か物事を見ようとしません。それはひとつの事実ではあっても、全体の真実か らはほど遠いものです。 でも、気をつけてください。「物事は多面的に見なければならない」という 言葉は、もう手垢にまみれるほど一般に使われています。けれど、往々にして その言葉は、本当に物事を多面的に見るためにではなく、相手の意見を否定し 自分の意見をごり押しするための詭弁として使われます。「自分は多面的な目 で物事を判断しているのだ」と考えた途端に、その人は自分のかけている色眼 鏡にまったく気づかなくなるのです。 哲学者フランシス・ベーコンは、人間が個人的な経験や感情によって様々な 偏見を持つことを論理的に指摘しましたが、決して人間が偏見から逃れられる とは主張せず、ただ自分が偏見を持っていることを自覚することで、少しでも 良い判断ができるようになるのだといいました。法華経も諸法実相を「唯仏与 仏乃能究盡」つまり仏のみがきわめつくす事のできる真理だとしています。私 たち凡夫(普通の人)には完全に理解し身につけることができないものだと。 私たちに求められているのは、「自分は真理を知っている」と傲慢になるこ となく、ただ謙虚であることなのです。 今日も良い一日でありますように。 |