2006/04/09(日)00:23
夢を叶えた江後選手
今日、J2第8節の試合が各地で行われ、愛媛FCは地元・松山で水戸ホーリーホックと対戦し、1-1と引き分け、ホームゲーム4連勝はなりませんでした。
さて、その試合で、愛媛FCに所属するある選手が、久々にJリーグのピッチに立ちました。
それは誰か・・・は言わなくてもお分かりでしょう。
背番号18番・江後賢一選手です。
そう!かつてSC鳥取に所属し、このブログでもずっと応援してきた江後賢一選手が、今日、久しぶりにJリーグで出場することができたのです!
江後選手、本当におめでとう!
江後選手は、かつてヴァンフォーレ甲府でプレーしていましたが、解雇されてしまい、2003年にSC鳥取にやってきました。
それから3年間、養護学校の先生をしながら、SC鳥取の中心選手として活躍し、「スピードスター」という異名をとりました。
ピッチ上では、自慢の俊足を生かしグラウンド狭しと走り回る江後選手。しかし、ピッチの外では、働いていた養護学校の生徒達にとても優しく接し、生徒達から「江後先生」と慕われていました。また、僕たちファンに対しても大変優しく、僕は江後選手のことがすぐに大好きになりました。
そのように、誰からも愛され、チームに欠かせない存在となっていた江後選手。しかし、その胸中には、「再びJで」という強い思いがあったのです。
江後選手は、昨年の冬に、愛媛FCの入団テストを受けました。
そして、結果は見事に合格。
そう。再びJリーグのピッチに立つ権利を得ることができたわけです。
しかし、プロの世界というのは甘い物ではありません。
江後選手は、2月に怪我をしてしまい、ずっと戦列を離れていました。3月の中頃にはほぼ完治しましたが、スタメン出場はおろか、ベンチ入りするチャンスさえ回ってきませんでした。
そして、今日の試合。
レギュラー選手の怪我ということもあり、時にして約4年ぶりに、Jリーグのベンチに入ることができたわけです。
しかも、途中から出場することができたのです。
そう。江後選手は、今日のこの瞬間に、「再びJリーグのピッチに立つ」という、4年越しの夢を叶えたわけです。
たゆまぬ努力により、夢を叶えることができたのです。
江後選手って凄いなあと思います。
かつてはJリーガーだった、しかしJリーグのクラブから解雇されてしまい、鳥取に来ることになった。そこで、元Jリーガーと言うこと関係無しに、オフ・ザ・ピッチでは養護学校で懸命に働き、オン・ザ・ピッチでは走り回って、観客を沸かせる。
そして、そのような努力を3年間続けて、再びJリーグのピッチに立つ権利を得る。
そして、そこでも再び努力し、そして見事に夢を叶える。
そう。江後選手は、僕たちに「懸命に努力すれば、夢は叶うものだ」と言うことを教えてくれたのです。
しかも、口で言うのではなく、背中で教えてくれたのです。
江後選手は、養護学校の子供達に「江後先生」と慕われていました。
慕われていた理由が本当によく分かります。
江後選手は、僕にとっても先生みたいなものです。いや、僕だけではなく、鳥取県民全員の先生だと思います。
「努力する」と言うことを、背中で教えてくれた先生、いや、大先生です。
そんな江後選手を、僕は心から尊敬します。
江後選手は、今回は17分の出場にとどまりました。
試合後の監督コメントでも、厳しい言葉をもらっていました。
Jリーグのピッチに立ったことは立ったけど、その能力を発揮しきれずに終わった、そんな感じがします。
プロの世界は大変厳しいです。今回出場できたからって、次回に出場できる保証はどこにもありません。
でも・・・出場するチャンスを近づけることはできます。いくらでもできます。
江後選手は確かにJリーグのピッチに立つという夢を叶えました。しかし、それで終わってしまってはいけないのです。
夢は、続いていかなければならないのです。
今回は、どこまでも広がる夢の、最初の一端を叶えたにすぎないのです。
夢を叶え続けることは、大変なことです。
でも、江後選手なら、きっとできます。
次はスタメン出場か、ゴールを決めるのか、クロスを決めるのか・・・。
次は、どんな夢を持っているんでしょうね。
その夢を叶えていくことは難しいことでしょう。
でも、大先生江後選手なら、きっとできます。
僕が、応援しています。
突き進め!江後大先生!