ネット興亡記
ネット版日経新聞に「ネット興亡記」という、日本のインターネット黎明期の物語として、創業間もない企業のキーマン達のドラマを綴った記事があります。今では当たり前になったインターネットの世界も、1990年代後半には群雄割拠の戦国時代でした。そこには無限の可能性があり、夢を語る若者がどんどん創業していった時代でした。ITバブルともてはやされてそれらの企業の時価総額は急増し、それに伴い大きな資金で様々なことを行うことができるようになりました。その後ITバブルは弾けますが、多くの企業はその後もインターネットの世界を魅力的なものにしようと、様々なことにチャレンジしてきました。色々な経緯があって、今に至るのです。本当に色々なことが、日本のインターネット黎明期にあったのです。それらのドラマを物語として記事にしているのがインターネット興亡記。まだこのシリーズを読んでいない人は、是非読んでみて下さい。とっても面白いです。最新シリーズの「完結編」は下記にリンクを張っておきます。インターネット興亡記 完結編https://r.nikkei.com/stories/topic_DF_TH_19121601自分の話で恐縮ですが、僕がインターネットを始めたのは1998年頃。インターネット興亡記のシリーズの初期と時期が被ります。当時は本当に、狂ったようにインターネットをしていました。メールの送受信をするのにもダイヤル回線で5~7分くらいかかったのを覚えています。FAXみたいな音が流れてました。夕方から夜にかけては回線が混雑するので夜中しかできません。そのためもあり、テレホタイムと呼ばれる23時から7時までの間の通信料定額時間帯に、夜遅くまでずっとネットに繋げていました。当時は今と違い固定額のサービスは珍しかったです。通信料もしかり。従量課金制では、使えば使うほど料金がかかります。しかし眠い目をこすりながらテレホタイムにインターネットをすることで通信料を定額にしても、プロバイダ代が固定制のサービスでなく従量課金制だとプロバイダ代だけですぐ数万円までいってしまいます。従量課金制のプロバイダ代で月に数万円払った経験がある人もきっと多いでしょう。1日数時間の接続でも電話代とプロバイダ代でそれぞれ月に数万円かかるなんて、今では考えられませんね。ホームページもテキストサイトが主で、画像なんて殆どない。動画なんてもってのほか。せいぜい数コマ流れるバナーがある程度。ページを開く毎に読み込みで数秒~数十秒の待ち時間。それが当たり前だったから、待ち時間も苦じゃなかった。そんなとっても素敵な時代。当時僕が使っていたパソコンはメモリが8MB、HDDが640MB。データのやり取りはFD。パソコンのソフトはどれも5千円以上していました。店頭で売られているパッケージソフトにはメールを送受信するためのメーラーと呼ばれるメールソフトや画面を保存するためのキャプチャーソフトなんてのも当たり前のようにあった。何をするにもソフトが必要。『パソコンは、ソフトがなければ、ただの箱』。パソコンが金食い虫なのは当時の常識です。動作を早めようとメモリを増設するにもメモリ自体が単体で数万円する時代でした。それだけ高額のメモリでも、増設した後で正常に動作するかどうかはパソコンとメモリの相性もありました。当時僕は高校3年生。インターネットがない時代に高校3年生まで育った人間が、急にインターネットの世界に入っていったのです。携帯のiモードもない時代にインターネットなんて殆どやってる人がいなかった。それから1年もしないうちにインターネットは急速に広まった。数百万人もの人間がインターネットをやるようになると、色々できることも増えていった。才能あふれる人が物凄い時間とエネルギーを注いで文章を書いていた。情報量が急速に増え、日々インターネットの世界が深化しながら広まっていった。みんな真剣だった。今みたいに誰でも持ってるスマホで気軽にネットで暇をつぶしていたんじゃなくて、インターネットのために大金掛けてみんなが真剣に没頭していた。毎日、広すぎる未知の世界に触れながら、色々な刺激を受けていた。当時のインターネットは今よりずっと狭かったが、今よりずっと可能性に満ちていた。分かるかな?伝わるかな?そういう時代の話です。インターネット興亡記は、今回がシリーズ完結編。このシリーズは今までよりも、もっとUSENの宇野社長の登場が多いです。宇野社長が主人公で3話分あります。USEN-NEXTホールディングスの株主は見てみると、もっとこの企業を応援したくなると思いますよ。