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カテゴリ:いろいろ
NHKで「ハルとナツ」というドラマが5夜連続で今日からスタート。
ブラジル移民の話、ということで久しぶりに長いテレビドラマを見ることにした。 ブラジルにいた頃、父の会社の秘書の方のご実家にお邪魔させていただいたことがある。 お父さまが家族を引き連れて開拓移民として来られたという、そのお宅はレンガつくりのシンプルなお家で、部屋の仕切り壁はなかったように記憶している。 何でもお父さまの手作りの家なのだそうだ。 お風呂は戸外で五右衛門風呂を頂いた。 蓋を踏んでしずめるのがやせぽっちチビには難しかった。 夜とは、こんなに暗いものかと思った。 後にも先にも、あんなに暗い夜は過ごしたことがなかったように思う。 近隣の明かりも遠くホタルのようにしか見えず、町明かりというものが全く無かったのだから。 子供心にその住環境からご一家のご苦労を思い、お父様の男らしさ(?)に舌を巻いた。 そして、そのような過酷な環境からブラジルでは困難な国立大学への進学をなしとげたという秘書の方に深い尊敬を感じた。 山口百恵さんのようなきれいなお姉さんだった。 話は戻るけれど、日本は戦前の飢饉・不況の中で多くの開拓民をブラジル・満州・ハワイなどに送った。 国はどこも、パラダイスであるというような触れ込みで、万歳万歳と送り出した。 満州は不毛の地、ブラジル・ハワイは実質農奴生活であった。 食べられない国民を、国策として売り飛ばしたのである。 戦後も移民は何度も海を渡った。 やむにやまれぬ事情からもあり、大きな夢を追ってもあり、事情は様々だけれど、異国に根をおろすのは並大抵のことではなかっただろう。 ドラマでブラジルから老いて日本に来た人がラジオ体操をしている場面があった。 ラジオ体操! 日系の人びとの間で、どれほど愛されてきたことだろう! インターネットもなく、国際電話も高価でままならない時代、海外に住む日本人は電波の調子を気遣いながら、雑音だらけのNHKのラジオ放送に耳を傾けていた。 通信の不自由な時代、海外に住むということがどれほど日本に対する憧れや誇りを掻き立てるか、日本に生まれ暮らしている人には想像もつかないだろう。 でも、在外邦人に対して、日本はつめたい。 海外でも選挙ができるようになったのはつい先ごろ。 日本人学校も今は知らないが、わたしの時代は私立で、商社がお金を出し合って建てたもの。 日本政府は外国に住む日本人子女の教育のことは考えていなかったのだろう。 安全で良い場所を確保できなかったために貧民街近くを通るスクールバスにはときどき石が投げつけられた。 治安が悪化すれば真っ先に帰国する大使館関係の家族。 (しかも、その原因を作るのは日本にいる政治家たち) 戦後の満州引き上げ時代と体質は変わらないんだね、この国。 小学校2年生のときの先生は日本から招聘した先生ではなく、開拓移民の息子さん、日系人だった。 農家育ちらしい、がっちりした身体で、子供たちを両手にぶら下げてぶんぶんまわしたり、肩車をしてくれる若い男の先生だった。 先生はわたしたちの学年を受け持ったのを最後に日本人学校の先生をやめられた。 家族を養うのに、もっと良い仕事を探しにいったのだと大人たちの話から知った。 日本の学校を卒業していない(ないんだもの)先生は日本から来た先生と比べ物にならないくらい小額のサラリーだったという。 何と書き送ったか忘れたが、手紙を出したら、ひらがなと習ったと思われる漢字だけを使った返信をいただいた。 わたしにとって、封筒に自分の名前だけが書いてあって切手の貼られた手紙ははじめてだったと思う。 そこには、とても丁寧な美しい字がならんでいた。 「先生は元気でしごとをがんばっています。でも、もっとみなさんと遊んだり学んだりしたかったです。」 わたしは今日まで、こんなに美しい手紙を「教師」からもらったことがない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.02 23:44:00
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