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晩年の祖母の口癖は、「こんなに幸せでいいのかしら。」 特別うちが裕福な家だったわけではありません。 父は公務員の安月給でしたし、雨露をしのげる家があって、家族が健康で、 日々三食ご飯が食べられる、普通の生活でした。 そんな普通の毎日に、「こんなに幸せでいいのかしら。」と、 手を合わせていた祖母。 私はこの口癖に、いつもこう返していました。 「いいんだよ。おばあちゃんは散々苦労してきたんだから。」 祖母は関東大震災と、戦争を生き抜いた、筋金入りの苦労人です。 関東大震災で家は倒壊。川向うに地獄を見たと言います。 戦争中夫は出兵し、4人の子供を抱え、戦火を生き抜きましたが、戦争中に栄養失調で、 生まれて間もない子供を亡くし、終戦後、夫は旧ソ連に4年間捕虜として捕えられ、 帰国しても公職追放で職を失い、戦後の大混乱を女一人で働いて、子供を抱えて 生き抜いてきました。 それに引き換え、私は平和で超恵まれた時代に、生まれ育った世代。 ひもじいとか、食べ物がなくて困るとか、そういった思いをしたことがありません。 国は平和で治安も良く、家があって、学校に行けて、毎日三食ご飯が食べられて、 おやつまで出してもらえて、温かい布団で眠れるのに、それを幸せだと 感じた事はありませんでした。 それが生まれた時から与えられていた、「当たり前の環境」だったから。 祖母にとっては、戦争をしていないとか、爆弾が降ってこないとか、 子供がお腹空いたと言ったら、お腹一杯ご飯を食べさせられるとか、 そういった現代の当たり前の生活が、かけがえのない幸せだったんです。 何気ない今の日本の日常を、「当たり前」と思って生きる私と、 「かけがえのない幸せ」と感じて、幸せいっぱいに生きる祖母。 私は思いました。 「“幸せ”って何だろう・・??」 物が溢れる日本では、今、精神病が蔓延しています。 「もしも世界が100人の村だったら。」では、100人の内、大学の教育を受け、 コンピューターを所有しているのは、たった一人だそうです。 つまり日本人のほとんどが、この「たった一人」に入っている (もしくは、入ろうと思えば入れる。)のに、精神を病んだり、 幸福を感じられずに、生きている人が多いのです。 「当たり前の基準」が、「恵まれた環境の人」って、 実は幸せになりにくいんじゃないでしょうか。 世界中から見たら、「とんでもなく恵まれた環境」が、今の日本人にとっては 「当たり前の日常」ですから、一億当たるとか、最大級の良い事が無いと、 なかなか「幸せ」と感じる事が出来ません。 世界規模で見ても、日本人は恵まれています。 でも、恵まれている事に、あまり気付いていません。 実は日本人が幸せになるのって、簡単なんです。 だって今いる環境が、幸せなんですから。 昔の人は言いました。 「上見て働け 下見て暮せ」 幸せになる極意は、先祖の残した知恵の中。 恵まれた日常に、感謝の気持ちが足りなくなった時、私はいつも 自分に向かってつぶやきます。 「上見て働け 下見て暮せ 幸せはなるものではなく、感じるもの。 幸せは、いつも心の中にある。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年01月28日 12時39分11秒
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