ちょっと昔話 ~5~
「日本は戦争に負けたんじゃない。戦後負けたんだ。」赤堀さんの言葉が胸に刺さりました。赤堀さんは語尾を強めて言いました。「俺達は我が国を守るために、アジア独立のために戦った。 戦争には負けたが、祖国日本を守れた。 大東亜共栄圏は作れなかったが、アジアの国々はすべて独立した。 ”大東亜戦争”の目的は達成できた。」そして、ふっと目を伏せて、寂しそうに言いました。「だが、戦後占領中の戦後教育で、日本人の精神は骨抜きにされた。 2600年も続く日本の精神が、たった数年の占領で、骨抜きにされたんだ・・。」私はこの歴史を知る旅を通して、親のこと、祖父母のこと、自分のこと、色々抱えていた長年の疑問は見事に解決できましたが、今度は別の、やりきれない思いを抱える事になりました。自分のことを、「白髭の老兵」と呼ぶ赤堀さん。赤堀さんは、戦後60年以上経った今も、戦い続けています。戦争に行って戦って、戦後もずっと戦っている。私の目にはそう映りました。戦後失った「大切なもの」を取り戻そうとして、90歳過ぎても諦めず、戦い続けている・・。日本の首相が靖国神社に参拝しない状況が、長く続いていますが、実は世界では、国家に準じた英霊を国家で祭祀する(大統領や首相が参拝する)事は「常識」なんです。同じ敗戦国のドイツのコール首相は、ドイツでサミットが行われた時、レーガン大統領を伴って、ビットブルグ(ドイツで英霊を祀っている、日本でいう靖国神社)を当たり前に参拝しました。戦後の占領下の日本でさえ、首相が靖国神社を参拝することは許されていました。占領軍にしても、「ま、”常識”だからね。当然でしょ。」・・ということで許可。なのになぜか、日本でサミットが行われた時に、レーガン大統領、サッチャー首相、その他の各国代表が、「常識として」靖国神社参拝の意向を示したところ、日本政府は辞退したそうです。各国代表は、「????」だったでしょうね・・。(^_^;)赤堀さんは苦笑いをして言いました。「靖国神社に参拝に来たイギリス人に言われたよ。 ”日本の首相は、なぜ靖国神社に参拝しないのか?” イギリスにはウエストミンスター寺院という靖国神社があり、アーリントン墓地はアメリカの 靖国神社である。 戦いの勝ち負けには関係ない。 (首相が参拝する)その常識がなされていない日本は、ノーマルではない。” 俺達は首相に”参拝してくれ”って、毎年言っているんだけどね。」「知らない」って、怖いです・・。育ててくれた祖父母が戦中戦後、どういう思いで生きてきたのか、私は考えたこともなかったんです。赤堀さんのように、戦後もずっと戦っている人がいるって、知らなかったんです。祖父母とはずっと一緒にいました。でも、当たり前に平和の中に生まれ育った私は、感謝の気持ちを伝えられないまま、祖父母を逝かせてしまいました。旅を終えて、戦中戦後を生き抜いた、祖父母への感謝の気持ちが溢れ出しました。「おじいちゃん、おばあちゃんを抱きしめて、いっぱい”ありがとう、大好きだよ”って言いたい・・。 ”もうわかったよ!”って笑われるくらい、たくさん伝えたい・・。」もし実現していたら、祖父は静かに涙を流したでしょう。祖母は、優しく抱きしめ返してくれたでしょう。でも、今となっては、伝える手段がありません。この旅で知ったことを、早くに学んでいれば、祖父母をもっと労って、もっと大切にして、もっともっとたくさんの感謝を伝えられたのに・・。 私達が今、当たり前に享受している平和な国を作るために、祖父母世代が命懸けで 戦った歴史がありました。 戦後、戦犯扱いされても、敗戦国として占領されても耐え抜き、誇りを失わず、 経済大国への道を切り開いてくれました。 「命懸けで、私達に”日本”を残してくれました。」東日本大震災は、大きな悲劇を生みました。でも、日本人が失っていた大切なことを、思い出させてくれたようにも思います。いまだ、赤堀さんが叫ぶ歴史は、埋もれたままですが、赤堀さんは言います。「あんたのような若い子が、俺達の話に耳を傾けてくれて、この歴史を知ってくれて、 語り継いでいってくれていることが嬉しいよ。 俺達には希望だよ。」常日頃から、自分が経験した歴史を、このまま歴史の片隅に埋もれさせてはいけない、と言っていた赤堀さんから、本が届きました。著者は「赤堀光雄」「大東亜戦争が世界に齎(もたら)した偉大な成果」2011年 12月発売「えー!!!!赤堀さん、本出したの!!?」「白髭の老兵、いまだ諦めず。」と言わんばかりに、笑顔の赤堀さんのお写真も、同封されていました。御年93歳!!まだまだ突っ走られそうです。私達世代も、震災も不景気も吹き飛ばすくらい、頑張らなきゃいけませんね!もう一度、「日本の奇跡」を目指して・・。↓参加しているので、気に入ったら毎回クリックしていただけると、励みになりますにほんブログ村