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さて、あと、引越しまで秒読みになってきた私達。
インターネットの回線も、そろそろ契約切れになるので、 もし、ある日突然、私が日記の更新しなくなったり、返事を書かなくなったりしたら、契約切れなんだと、ご了承くださいね。それまでは、なるべく、HPかきつずけていたいと、思っているのだけど。でも、日本について落ち着いたらまた再開するので、忘れないでね。へへ。 最近、めっきり寒くなったきた北CA。そろそろやっぱ、秋支度が必要みたい。日本もそうなんだろうなー。日本に帰る前になるべく、物価の安い、アメリカで買い物しておこうと、 考えてる、私。先週から、今日にかけての戦利品。まずは、”EXPRESS"の80%なるセールに先週義理の妹とでかけた。洋服は、私が気に入るものはあまりなかったけど、それでも、パンツ$10くらいからと、破格に安かった。私は、定価で、$58茶色のスエードのバックを$15で購入。あとは、黒の石がついてる定価$20のチョーカーを$5で買った。そして、今日。 カルバンクラインのベージュのセーターを定価$35のところを、&15にて、ロカ ウエアのベルト定価$28を$12で、安かったので、2本色違いで買った。あとは、ブーツが欲しいなーー。ああ、物欲女王PUFFの秋用買い物大作戦なのですーー。 さて、突然インターネットがつながらなくなる前に、”タスキーギエア マン”について、書いてみるわね。 私が、”タスキーギエアマン”について知ったのは、もう7、8年前のこと。日本のレンタルビデオ屋で、はじめて見た”ブラインド ヒル”というタイトルの映画がきっかけだった。 それは、世界第二次大戦中に、はじめて、アフリカンアメリカンの戦闘機パイロットとして活躍した部隊の物語だ。当時は、1940年前半のこと。まだまだ、南部の方は、黒人と、白人用のレストランや、座席が区別されてる時代のこと。 そして、軍隊の中でも、黒人部隊と、白人部隊はわかれていたし、黒人の将校〔士官)はいたには、いても、とても、希少価値だった時代のこと。そんなときに、タスキーギ〔アラバマ州だったかな)という、地名の場所にて、 黒人初の試みとして、戦闘機のパイロットの訓練生達が集められトレーニングされた。彼等は、全員が大学教育を終了しているもので、将校〔士官)候補生たち。南部の農場で働く 黒人達は、飛行機から降りてきたのが、黒人で自分達の目を疑ったとともに、ものすごい尊敬と、誇りのまじった目で彼等のことを見つめていたようだった。 ところが、事はそう、簡単にはいかない。戦闘機パイロットなどという、軍隊の中でも名誉ある職に黒人達がつくのを、 多くの白人たちが冷ややかな目でみていた。”黒人なんかに、つとまるものか。知能や能力が所詮、俺達よりおとるものだ。”と、なんの科学的根拠もないのに、”黒人は夜目がみえないからだめだ”とか、〔実は、これ日本人もそうだと、言われていたらしい。あほらしい。)いろんな理由をつけて、黒人戦闘機パイロットの誕生をはばむものがいたようだ。中には、訓練生の飛行機に細工をし、それが元で事故になり、死んだものもでたにもかかわらず、’どうせ、黒人ごときが、そんな高度なことができるはずがないのだ”と冷笑したらしい。それでも、どうにか、厳しい訓練を乗り越え、晴れて将校〔士官)として任官し、ヨーロッパ戦線に送られた。黒人兵からは、尊敬と、白人兵からは、奇異と、侮蔑の目をもってむかえられた彼等。いくら将校でも、やはり、宿舎などは、黒人専用の方だった。彼等の戦闘機には、他と、区別がつくように、飛行機の尻尾の翼の部分に、赤いしるしをつけられ、区別された。中には、白人の下士官兵が、”おまえなんど、いくら将校なんていっても、しょせん黒人だおもいしれ!”などと、言い放ち、実際に、下士官が将校にそのような態度をとろうものなら、軍事裁判ものなのに、もちろん、黙認されたままだった。 そうこうするうちに、彼等は実績をあげはじめた。白人の 爆撃機パイロットの中には、黒人戦闘機部隊の護衛をつけられるのを、いやがっていたものも、たくさんいたようだが、 タスキーギエアマンの活躍に、心を開いていいくものもいたようだ。 結局彼等、タスキーギエアマンは、200機以上の爆撃機の護衛につき、一機も、失うとはなく、敵の戦闘機から守りきった。終戦後1948年。当時のトルーマン大統領は、伝説のタスキーギエアマンの功績をたたえて、軍隊の中での、サグリゲーション〔黒人、白人と区別のないようにした)廃止を決定したのだった。 私は、ここで、軍隊賛美などしているのではない。タスキーギエアマンのような先人達がいてこそ、アメリカの黒人に権利や平等がもたらされてきたのだ。彼等の困難に打ち勝っていく、精神力は並みのものではなかっただろう。 家の旦那の部屋には、”タスキーギエアマン”の絵がかざられている。アフリカンアメリカンにとっては、忘れることができない人たちであるからだろう。 タスキーギエアマンの説明の中にこういう風に書いてある。 ”They escorted bombers into Europe and equality into America" このタスキーギエアマンの中には、まだ生存されていらっしゃる方々がいて、まだまだ元気で公演などおこなっていらっしゃる方もいるらしい。 興味のある方は、是非”ブラインド ヒル”というDVDとか、ビデオで探して見てみてください。なかなか感動しますよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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