うたのおけいこ 短歌の領分

2009/04/28(火)16:17

一青窈「ハナミズキ」難解歌詞の謎

詩歌つれづれ(39)

花水木の花が咲いている。 おのずと、一青窈(ひとと・よう)のJ-POP不朽の名曲「ハナミズキ」が思い出される。 見事というほかはない歌唱、旋律、アレンジメントは、聴いているだけで思わずウルウルしてしまうぐらい我が琴線を震わせてくれるが、一方で、謎めいた文言の並ぶ歌詞の難解さは、発表当初から一部で話題にされて来た。 一時は定番の「結婚式ソング」として珍重されたとも聞くが、どう見てもそれは大きな勘違いであろう。正直、日本語リテラシー(読解能力)の衰弱を嘆かざるを得ない。 なお、最近僕はちょっと疲れ気味なので、昨夜大量のサプリメントを飲んだところだ。多少効いて来たみたいだ。 委曲を尽くした解析はちょっとしんどいので、文飾を廃し結論のみ簡明に書くことにする。 少なくともこれは成就(じょうじゅ)した恋の歌でないことは明らかである。 歌詞中の「僕」が、一種のカムフラージュ・目くらましになっているが、これは明らかに女性である。 ロストラヴソング(失恋歌)、それも自ら身を引く女の歌であろう。 かって知ったる親友、「薄紅色の可愛い君」に恋人を寝取られたのであろう。 たぶん一時は、ストーカー状態に近いぐらいの顛末があったことも仄めかされている。 アメリカ・テネシー州歌「テネシーワルツ」は、恋人の男を同性の親友に奪われた怨恨の歌であるが、この歌詞のCC(カーボンコピー)でもあり、アジア的海容の変奏曲でもあろう。 「テネシーワルツ」の一人称の主人公も、半ば以上友達を許しているが、「ハナミズキ」では全面的に許容している。その代わりにこの歌を作ったみたいなメカニズム、悔しさをバネに文学的に成功したみたいな過程が透けて見える。 これすなわち、自分を見ている自分がいるというメタでリアルな意識が感じられ、現代詩としての鑑賞に堪え得る価値があると言える。 一青窈は、のちにMy Little LoverのAKKOから、その夫・小林武史を略奪するという冒険(アヴァンチュル)に走ったわけだが、まさにそれを予告するような内容でもあったといえよう。 なお、一青窈自身がどこかで、これは「ニューヨーク9.11事件」についての詞だと言ったという情報もある。 もし本人がそう言ったのだととすると、もちろん無下には否定できないが、ますます謎は深まるばかりで皆目見当が付かなくなり、もはや収拾不可能だ~

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