2024/07/12(金)15:51
坂本龍馬 平井の収二郎は誠にむごいむごい 妹お加尾が嘆き、いかばかりか ──姉・乙女宛書状(下)
「そして平井の収次郎ハ誠にむごいゝ いもふとお可を可”なげき い可斗ばかり可」
坂本龍馬直柔なおなり自筆 姉・岡上乙女おとめ宛書状 全文
文久3年(1863)6月29日付〔下〕
私、しおけして(死を決して)、ながくあるものとおぼしめしハやくたい(益体、無益なこと)ニて候。
然しかるに、人並のよふに中々めつたに死なふぞ死なふぞ。
私が死日シヌルヒは、天下大変にて生いきておりてもやくにたゝず、おろんともたゝぬよふニならねバ、中々こすいいやなやつで死シニハせぬ。
然しかるに、土佐のいもほり(芋掘り)ともなんともいわれぬいそろふ(居候、次男坊)に生ウマレて、一人の力で天下うごかすべきハ、是これ又天よりする事なり。
かふ申まうしても、けしてけしてつけあがりハせず、ますますすみかふて(住み替えて)、どろの中のすゞめがい(蜆貝)のよふに、常につち(土)をはな(鼻)のさきゑつけ、すなをあたまへかぶりおり申候まうしさうらう。
御安心なされかし。 穴かしこや
弟 直陰
大姉 足下
今日ハ後でうけたまハれバ六月廿九(二十九)日のよし。天下第一おふあらくれ(大荒くれ)先生(姉・乙女)をはじめたてまつり、きくめ石(菊目石)の御君ニもよろしく。むバ(乳母)にもすこしきくめいしの下女──とくますやへいてをりたにしざいごのこんやのむすめ──にもよろしく。
そして、平井の収次郎ハ、誠にむごいむごい。
いもふと(妹)おかを(加尾)がなげきいか斗ばかりか、ひとふで(一筆)私のよふすなど咄はなしてきかしたい。
まだに少しハきづかいもする。
かしこ
しもまちのまめそふも、もをこわれハせんかへ。
けんごなりや、なををかしい。
京都国立博物館蔵
〔現代語訳〕
私はすでに死を決しており、長くこの世にあるものと思し召されるのは、無駄なことでございます。
しかし、人並のようにそうそうめったな事で死のうか死のうか。
私が死ぬ日は、天下大乱で生きていても役に立たず、おろん(胡乱?)とも立たぬようにならねば、それまでは中々こすっからい嫌なやつとして(生き抜いて)死にはせぬ。
しかし、土佐の芋掘りとも何ともいえぬ居候の分際に生まれて、一人の力で天下を動かすべきことは、これまた天より命じられたことです。
こう(大きなことを)申しても、決して決して付け上がりはせず、ますます世の中を流れ歩いて、泥の中の蜆(しじみ)貝のように、いつも土を鼻先へくっ付けて、砂を頭に被っているのでございます。
ご安心下さい。 あなかしこや(敬具)
弟 直陰
大姉 足下
〔追伸〕今日は、あとでお聞きすると6月29日の由。
天下第一大荒くれ先生(姉・乙女)をはじめ、菊目石の御君(おんきみ、不詳)にもよろしく。その乳母と下女──徳増屋へ行っている田螺在郷(田舎)の紺屋(染物屋)の娘──にもよろしく(文意不詳)。
そして、平井の収二郎(の死)は、まことにむごいむごい。妹・お加尾の嘆きいかばかりか、(慰めに)一筆(別便の手紙で)私の様子など話して聞かせたい。
(もう離れてしまった女性ですが)まだ、少しは気遣いもするのです。
かしこ
新町の豆惣(?)の店は、もう壊れはせんかえ?
堅固なら、なお可笑しい(文意不詳だが、姉・乙女にはすぐ了解できる類いのジョークであろう)。
(拙訳)