2021/09/15(水)20:57
山上憶良 瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ/銀も金も玉も何せむに
山上憶良(やまのうえのおくら)
長歌
瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交まなかひに もとな掛かりて 安眠やすいし寝なさぬ
反歌
銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
万葉集 802-803
(遠い赴任先で)瓜を食べれば、子供が思い出される。栗を食べれば、まして偲ばれる。いずこからやって来たものだろうか、面影がしきりに目の前にちらついて、熟睡できぬ。
銀も金も珠玉もいったい何になるのだろう
それより遥かに勝っている宝の子供に及ぶだろうか
(・・・いや、及ぶはずがない)。
註
万葉集、ひいては和歌屈指の名歌。
食(は)む:「食う」「食べる」の意味の上古語だが、短歌では現代でも用いる。(鳥が嘴で)「啄(ついば)む」(「突き・食む」の音便)、「蝕む」(「虫・食む」)などの動詞に痕跡。
眼交(まなかい):目と目の間。目の前。目(ま)のあたり。
もとな:しきりに。やたらに。わけもなく。「根拠(もと)無く」の意。
まされる宝:短歌形式の心地よい韻律ゆえに、一見すんなりと読めてしまうが、改めて仔細に読んでみると、この四句目の正確な解釈は意外に難しいように思う。この部分を何となくぼかしてある解説が多いようにも見受けられる。
上記拙訳では、「(金や銀や玉などより、もっと)勝(まさ)った宝(である子供に~)」という文脈を採ったが、「(金や銀や玉などの)勝(すぐ)れた宝(も子供には~)」という読みも成り立つ。どちらが正しいかは微妙なところである。ただ、いずれにしても歌の大意に影響はない。
【原文(万葉仮名)】
宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母
マクワウリ アジウリ クリ
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